ネタバレ注意!なるべく本文読了後にお読みください。
本文をお楽しみいただいた方には野暮な説明かもしれないが、念のため申し添えておくと「空飛ぶスパゲッティ・モンスター教」は、カルト宗教の体裁をとったインテリジェント・デザイン(ID)説のパロディであり、IDを公教育に持ち込もうとするもくろみを批判・風刺するために著者ボビー・ヘンダーソンが創作したものである。IDは事実上キリスト教の創造説でありながら、「科学」を自称するために「デザイナー」を明らかにすることができない。本当はキリスト教の神と言いたいところを、「何らかの知的存在」と呼んでごまかしているわけだ。だが「何らかの知的存在」が生命を創造したというのなら、それは何であっても、そう、空飛ぶスパゲッティ・モンスターであってもいいはずだ。少なくとも可能性を否定することはできない。スパモン教はID理論の弱点を痛烈に突いたカウンターパンチなのだ。
ヘンダーソンが空飛ぶスパゲッティ・モンスターを提唱してから、ID関係でいくつかの動きがあった。2005年12月にはペンシルベニア州で、公立学校においてIDを教えることは政教分離に反し違憲であるという判決が下された。また、2006年8月に行なわれたカンザス州の教育委員予備選挙の結果、反ID派が優勢となっている。これらが空飛ぶスパゲッティ・モンスターの効果とはいえないが、世論を喚起するうえで一定の役割を果たしたのではないかと思う。
誤解しないでいただきたいが、進化論者も、本書の著者も、また訳者も決して神や宗教を否定しようとしているわけではない。批判されているのは、一宗教の思想をあたかも普遍的・客観的な科学であるかのように偽ることであり、それを政治的に教育現場に押しつけようとすることだ。むしろそのことの方が、神や宗教に対する冒涜なのではないだろうか。
キリスト教の伝統を持たない日本では、IDの思想は理解しにくいものかもしれない。日本にもID普及を目的とする団体は存在するが、今のところ大きな動きにはなっていないようだ(なっても困るが)。しかしこれは、日本人がIDの基礎となるキリスト教思想になじみが薄いからであって、決して日本人がアメリカ人より科学的思考に慣れているということではない。日本でも疑似科学やオカルトは枚挙にいとまがないほど多数広まっている。本書には疑似科学によく使われる一見もっともらしい論法が随所に使われている――というよりそれだけで書かれていると言ってもいい。本書を楽しみながら疑似科学の手口を理解すれば、詭弁にだまされないリテラシーを身に付けるのに役立つだろう。
私たちが本書から学ぶことのできるもう一つのキモは、対抗言説のあり方だ。ID論争が日本で起きたら、反対派はID理論を科学にもとづいて批判する論文や記事を書くだろう。それはそれで必要なことだし、アメリカでも真面目な批判を試みている論者は数多くいる。しかし残念なことに、そうした地味な反論が注目を集めることは難しい。いわゆるトンデモ論の方が派手で面白いし、人間の欲求や直感に寄り添っているために受け入れられやすいのだ。それに対して論理的に批判しても、「理屈っぽくてつまらない」と拒否され、時には反感を買うことさえある。いかに正しい論でも、人目に触れなければ意味がない。そこで空飛ぶスパゲッティ・モンスター教のように、パンチの利いた皮肉で対象を徹底的にパロディ化し、楽しく論争することも一方で有効なのではないかと思う。
というような堅い話は抜きにしても、空飛ぶスパゲッティ・モンスターは、いい意味でくだらなさ爆発のおバカ加減を武器に、今も着実に勢力を広めている。『USAトゥデイ』『ニューヨークタイムズ』『サイエンティフィック・アメリカン』などの有力紙誌やCNNに取り上げられ、インターネットの検索エンジンでflying spaghetti monsterを検索すると、2006年8月の時点でヒット数は150万件を超える勢いだ。もちろんそのすべてが好意的に扱ったものではないだろうが、わずか1年少々という短い期間にこれほどの広まりを見せた「宗教」は、かつてなかったのではないか。スパモンのキッチュで愛すべき姿や、天国にビール火山とストリッパー工場(なぜ工場!?)があり、海賊が選ばれし民だというおバカな教義を見ているうちに、訳者もパロディとわかっていても本気で信仰したくなってきた。これはもう出自はどうあれ、本物の宗教と呼んでもいいかもしれない。
本書を読んで空飛ぶスパゲッティ・モンスター教に興味を持たれた方には、同教会のウェブサイト
www.venganza.orgにアクセスすることをお勧めする。表記は英語のみだが、読むのが面倒なら画像を見ているだけでも楽しめること請け合いだ。動画やゲームも用意されているし、パソコンの壁紙を無料でダウンロードできる。Tシャツやステッカーなど色々なグッズも販売しているので、コアな信者をめざす読者は購入して、海賊船建造の資金調達に協力するのも一興かもしれない。
最後に、本書の読者と、出版にかかわった皆さんに空飛ぶスパゲッティ・モンスターの恩恵がありますように。
ラーメン