![]() | 吉村真由美[著] 2,400円+税 四六判 カラー口絵16頁+228頁 2022年11月刊行 ISBN978-4-8067-1644-0 渓流の中を覗いてみると、さまざまな生き物たちの多様な暮らしぶりが見えてくる。 呼吸のため、自ら水流を起こして酸素をつくる。 流れに乗ってより餌の多い場所に移動する。 絹糸を使って網を張って餌をとる、巣をつくる。 渓流の生き物たちと、彼らが暮らす渓流の環境について理解が深まる1冊。 2023/1/28(土)朝日新聞書評欄で紹介されました。 筆者は椹木野衣氏(美術評論家)です。 |
吉村真由美(よしむら・まゆみ)
大阪府生まれ。奈良女子大学大学院理学研究科修了、大阪府立大学大学院農学生命科学研究科中途退学、博士(理学)。
運輸省にて航空関係の業務に携わったのち、農林水産省入省。森林総合研究所四国支所研究員、
国立研究開発法人森林総合研究所企画部研究評価室長を経て、現在は国立研究開発法人森林研究・整備機構森林総合研究所関西支所チーム長。
渓流性水生昆虫の生理生態学、森林構造と生物群集との関係解明、放射性セシウム汚染による水生生物への影響、
生態系サービスや生物多様性保全に関わる研究などを行っている。
はじめに
第1章 水の循環と河川
川の流れを追う
川の誕生―渓流から河川へ
川を数える
瀬と淵
隠れた水域、河床間隙水域
渓流域の樹木と水
川の構造をとらえる
渓流の環境
酸素濃度
水温
日射量
渓畔林
河床と石
流域の構造
川の水の流れ方
河床で決まる層流と乱流
水の粘性と慣性
川の中の流速
流量変化の要因
渓流の水質を決めるもの
大気汚染物質と雨水
酸性化をもたらす流域植生
軟水と硬水
土壌と有機物の中和作用
農業用水と農薬
絡みあうさまざまな要素
水質変化のパターン
水生昆虫による水質判定
川の生き物たちのさまざまな生息地
渓流の生き物のおもな生息地
高標高、高緯度
渓流の流れがとぎれている場所
湖やダムから流出する河川
氾濫原のある大河川
乾燥地域の河川
そのほかの生息地
南極の川
氷河が溶けた川
環境と生活史
コラム 渓流で注意すること(渓流遊び、釣りなど)
コラム 河川の分類
コラム 生活史と生活環
第2章 流水をいなして生きる生き物たち
攪乱を耐え忍ぶ
流れからの待避
流れを利用して移動する
小さな移動と大きな移動
流れにのって移動する─ドリフト
受動的ドリフトと能動的ドリフト
ドリフトで上流の個体数は減少するか
生き物が定着するまでの時間
コラム 渓流で水生昆虫を見てみよう
コラム 森と渓流を行き来する生き物たち
第3章 流水に適応する
外部環境への適応
成虫の呼吸のしくみ
幼虫のさまざまな呼吸法
浸透圧の調節
乾燥に耐える
生息環境と生き物の形状
体の形を適応させる
体の大きさと捕食リスク
絹糸で網や巣をつくる
生活環と生活史
生活史を決める二つの要因
生活史の期間
生活史の違い
個体間のばらつきと柔軟性
羽化、交尾、産卵
流水の中
酸素と呼吸量
積算水温と生活史
光と底生動物
不均一な河床がつくる多様性
空間の広がりをつくる石
pHと水生生物
流れを活かすもの、回避するもの
コラム 渓流における人工構造物がつくる新しい生態系
第4章 生き物どうしの関係
さまざまな察知能力
情報伝達の方法
テリトリーを守る
餌をめぐるやりとり
餌と消化
餌の分布と採餌効率で決まる行動
餌の獲得方法、5つのタイプ
多様な餌
成長とともに変化する餌
餌場をめぐる熾烈な争い
プレデターはどうやって餌を取るか
食われる側はどう行動するか
寄生という関係
コラム ウナギのシラスはなぜ不漁なのか─川と海の物質循環
第5章 渓流域における落葉の重要性
渓流域のエネルギーの流れ
有機物の循環
1ミリメートルより大きい粗粒状有機物、CPOM
CPOMより小さい有機物、FPOM
藻類の光合成と一次生産量
バイオフィルムと微生物ループ
溶存有機物、DOM
渓流域のエネルギー収支
落葉と底生動物
落葉が餌に変わるまで
好みの落葉と分解速度
底生生物たちと森
コラム 水生昆虫と放射能
コラム 富士山に川がない理由
【付録】 渓流に生息している主な生き物
水生昆虫
カゲロウ目
カワゲラ目
トビケラ目
ハエ目
ユスリカ科
ガガンボ科
ブユ科
甲虫目
カメムシ目
ヘビトンボ目
トンボ目
水生昆虫以外の底生動物
貧毛類
ヒル類
ダニ目
三岐腸目
巻き貝類
甲殻類
エビ類
カニ類
ヨコエビ類
原生動物
微生物類
細菌
真菌類
植物
藻類
コケ類
水生植物
脊椎動物
魚類
両生類
鳥類
おわりに
参考文献
索引
日本列島の七割は山地であり、山と谷から成り立っている。谷には水が流れている。人口の9割が住む平野に水を供給しているのも、もとをたどれば渓流である。本書では谷(渓流)の成り立ちと、そこでどういう生き物たちが暮らしているのか、人間の生活とどうかかわっているのかをひもといていきたい。
渓流や川に一度は行ったことがあるだろう。そこではどのようなことを感じただろうか。水の流れが聞こえたり木々の色に癒やされたりしただけではなく、いろんな生き物がいることに気づいた人もいることだろう。
渓流の水はきれいなため、魚影がないと、生き物がほとんど棲んでいないという印象を受けてしまう。
でも、水の流れのそばまで行って、水の中から石を拾い上げてひっくり返すと、ヒラタカゲロウなどの多くの生き物(底生動物)が石の裏にいっぱいくっついていることに気づくことができる。水の流れの中に網を入れると、小さな生き物をたくさん採集することができる。また、網を渓流の中に設置しておくと、夜中に移動してきた多くの生き物を一晩で集めることができる。このように、水がきれいで生き物など何もいないように見える渓流の中には、じつはたくさんの生き物が生息しているのだ。
川底に人工的なレンガをいくつか設置してみると、数日もたたないうちに、近くに生息していた生き物がやってくる。そして、そこが彼らの新しい生息地となり、定着するようになる。
川では、一年に数回洪水が起こっている。洪水が起こると、ふだんは動かない大きな石がゴロゴロ動く。生き物たちは攪乱(かくらん)の影響が少ない場所に避難していく。でも、ある一定期間が過ぎ、川が落ち着くと、生き物たちは戻ってきて群集が回復していくのだ。
渓流には、渓畔林から落葉がもたらされている。その落葉では菌類がコロニーを形成している。河床にある石では、太陽のエネルギーを受けて藻類が繁茂している。菌類が育った落葉や石の上の藻類は、渓流で生きている底生動物たちの餌になる。
このように、渓流では、多くの生き物によるさまざまな活動が営まれている。それぞれの生き物が多様な生き方をしていく中で、お互いに関係し合いながら生き物たちの壮大なドラマが繰り広げられている。この本では、この壮大なドラマの一端を紹介したいと思う。
渓流の中にも生き物がたくさんいるんだよ、それぞれが独自の生き方を工夫しながら精一杯生きているんだよ、というのを伝えたくて、本書を書いた。普段から渓流に親しんでいる小学5・6年生にも理解できるよう、できる限り平易な言葉を使ったつもりである。また、視点をかえ言いまわしをかえて、同じ内容を何度も書いた部分もある。わかりやすい言葉で書いたために、専門的な見地からすれば言い回しに少し違和感を覚える部分もあると思うが、ご容赦願いたい。普段から渓流空間でゆったりとした時間を楽しんでいる釣り人や、登山の一形態としての沢登りを楽しむ人だけでなく、渓流沿いで遊んでいる子どもたちにもぜひ読んでもらいたいと思っている。虫とは縁のない生活を送っている中高生、渓流にはたくさんの生き物がいることを知らない中高生にも、ぜひ読んでもらいたい。この本は、虫の図鑑ではないし、生態学の専門書でもない。複層的な生態系をもつ森林空間の中で、渓流のある空間が好きだ、と思う人たちが渓流についてもう少し知りたいと思ったときに、手に取ってもらえれば幸いである。
近年、生物多様性を保全したり、SDGs (持続可能な開発目標)に向けた取り組みが求められたりしている。これらの活動が実を結ぶためには、環境保全等に全く関心のない人々もこれらの活動を頭で理解するだけでなく心で認識することが必要であろう。例えばマイクロプラスチック問題。都会で暮らしていれば、海洋のゴミのことなど関心を持たなくて済む。しかし、そのマイクロプラスチックが人間の体の中にすでに取りこまれていて、体に不具合を引き起こす可能性がある、となると自分事として活動に関心を持つようになるであろう。使っているプラスチック製品をむやみやたらと捨てないという行動に結びつくかもしれない。生物多様性の場合はもっと切実である。多様な生き物がいなくても一見、人間の生活が成立するように見えるからである。しかし、コロナウイルスに代表される人獣共通感染症は、生物多様性と大きく関係しているのだ。生物多様性保全の場合は、いろんな生き物を「いとおしい」と思えること、愛着を感じることが必要であろう。生き物に関心がなかった人が、この本を手に取ることによって、渓流の生き物に愛着を感じてくれればうれしいと思っているが、これは高望みだろうか。
川といえば大和川が真っ先に脳裏に浮かぶ大阪南部で私は育った。その当時の夏場の大和川では、かなり強烈なにおいが漂っていた日もあった。町の中心部を流れる川は汚いのが当たり前だと思っていた。
しかし、その後10年ほど経った頃に高知県で目にした光景は、私の認識を根底から覆した。今も忘れられない、高知市の中心部を流れる川で多くの小学生たちが水遊びをしていたのである。川もきれいであった。都市中心部を流れる川は汚いものだと思っていた私の中の常識が、大きく崩れた瞬間であった。
もちろん、田舎では市街地であっても川は汚くない、ということはテレビの映像や書籍の情報から頭ではわかっていた。市街地であってもきれいな川は存在するということを、心で認識できたことは貴重な経験となっている。
生き物のことを知ることは本当に難しい。一つのことがわかると、またわからないことが出てくる。
その繰り返しである。特に流水の中に生息する底生動物については、わかっていないことだらけである。
まだ名前もついていない生き物がたくさんいるのである。でも、名前はなくとも渓流の中にはたくさんの生き物であふれかえっていて、ものすごくにぎわっているということは、まぎれもない事実である。
この本を読んで、読者のみなさんが渓流の中の生き物たちの営みに少しでも親しみを感じてもらえたら、幸いである。私も生き物の暮らしを少しずつひもといていける様、研究を進めていければと思う毎日である。(後略)
きれいな水が流れる渓流は一見すると生き物などいないように思えるが、
その流れの中に入って、石をひっくり返して裏を見てみると、そこにはいろいろな生物(底生動物)が潜んでいる。
彼らは流れの中で生きていくために、それぞれ独自の呼吸方法や餌の取り方を編み出している。
底生動物は、わかっていないことだらけで、名前もついていないものもたくさんいるのだが、
彼らの存在とその営みを知ると、これまできれいな流れだとしか思っていなかった渓流を、
より身近に感じられるようになるのではないだろうか。