![]() | ウィリアム・グラスリー[著] 小坂恵理[訳] 2,400円+税 四六判 240頁 2022年6月刊行 ISBN978-4-8067-1637-2 人間は、人跡未踏の大自然に身をおいたときに、 どのような行動をとるのか。 氷壁とフィヨルドの海岸に囲まれたグリーンランドで、 地質学者は、何を見、何を感じたのか。 地球科学とネイチャーライティングを合体させて 最高のノンフィクションとたたえられたジョンバロウズ賞受賞作。 [原著書評より抜粋] 美しい文学的文章には……真摯な内省と科学的知識の裏付けがある。 『極限大地』に登場するのは、ほぼ前人未踏の大昔の世界だ。 いまや地球の変化は加速する一方だが、太古の時代の神秘がここには未だに残されている。 本書は文学、科学、哲学、詩のすべての要素において、ネイチャーライティングの傑作の資質を備えている。 ごく繊細なタッチによって、美と学問が稀に見るほど絶妙に組み合わされている。 ――ジョン・バロウズ賞審査員評 著者は知覚の性質と人間の精神について熟考したうえで、 グリーンランドの構造のドラマチックな物理的特徴を描写しながら、 長期にわたる遠征で体験したスリリングな冒険を回想している。 ――サイエンティフィック・アメリカン誌 陸地と北極海の境界がぼやけ、凍るように冷たく澄みきった海が広がり、 その鏡のように滑らかな表面を流氷が漂い、静寂が支配する場所を、著者は見事に再現した…… 太古に関するこのストーリーの視点には、ただただ驚かされる…… グリーンランド東部について著者が抱いた鮮烈な印象からは、 サイエンスライターのほとんどとは無縁な試みに取り組んでいることがわかる。 すなわち、自らの快適な空間という領域にとどまらず、未知の領域にまで足を踏み入れている。 ――ネイチャー誌 ―――――――――――――――――――――――――――――― 『極限大地』におきまして、本文中の表記に誤りがございました。 お詫びして訂正いたします。 以下をクリックしてください。 極限大地正誤表 ―――――――――――――――――――――――――――――― |
ウィリアム・グラスリー(William E. Glassley)
カリフォルニア大学デービス校の地質学者、デンマークのオーフス大学の名誉研究員で、
大陸の進化とそのエネルギー源となるプロセスを研究している。
70以上の研究論文のほか、地熱エネルギーに関する教科書の著者でもある。
本書は、著者にとって初めての一般向けの本となる。ニューメキシコ州サンタフェ在住。
小坂恵理(こさか・えり)
翻訳家。慶應義塾大学文学部英米文学科卒業。
訳書に『ラボ・ガール』『繰り返す天変地異』(以上、化学同人)、『歴史は実験できるのか』(慶應義塾大学出版会)、
『マーシャル・プラン』(みすず書房)、『地球を滅ぼす炭酸飲料』(築地書館)など。
はじめに――人跡未踏の極限の大地"ウィルダネス"を経験するということ
序章――人間として科学者として大自然の中で理解できること、できないこと
第1章 再発見
沈黙――ベースキャンプから白夜にさまよい出る
蜃気楼――未知の存在を知らせるための合図
岩を砕く――ふたつの大陸の縫合帯なのか
ハナゴケ――トナカイが好む地衣類を食べてみる
ハヤブサ――至近距離での遭遇、新しい経験の宝庫
第2章 統合
太陽の壁――サーフィンが人生のすべてだった
鳥のさえずりと神話――音の蜃気楼に出会う
ライチョウ――親鳥とヒナとの遭遇、ホッキョクイワナの川で沐浴
きれいな水――淡水と海水が出会う場所の生命のにぎわい
魚の川――捕食者ウルクが襲う
第3章 発現
潮流――ゾディアックがうず潮にはまる
時計じかけの小石――巨大な斜方輝石の堆積物を発見する
氷――氷壁・氷山・氷の結晶
アザラシ――狩り、食す
帰還――細かい境界で区切られた世界へ戻る
終章
おわりに――ウィルダネスを共有することの意味
用語集
謝辞
訳者あとがき
地球上でも稀に見るほど広大な荒野が続くグリーンランドは、大部分が氷に覆われている。そして氷に閉ざされていない地域の景観は、場所ではなく、経験として心のなかにとどめられる。本物にせよ架空にせよ、あるいは名前のあるなしにかかわらず、ここには場所を区切る境界が存在せず、すべてがまるごと素晴らしい機会として受け止められる。純粋無垢な荒野を目の当たりにすると、感覚は鋭く研ぎ澄まされる。しかも、グリーンランドの地表には豊かな歴史が刻まれている。だからそこに足を踏み入れるだけで、現実が鮮明に見えたような気分を味わう。
ここでグリーンランドについて簡単に紹介し、客観的な情報を確認しておきたい。島の大部分が氷床に覆われたグリーンランドを北米大陸の西部に移動してみると、アメリカ合衆国の北の境界から南の境界にまで広がり、サンフランシスコからデンバーのあたりまで達する。全体の80パーセント以上は、北半球で唯一の氷床の下に覆い隠されている。いちばん大きな氷は厚さが1万2000フィート(3.6キロメートル)にも達し、全世界の淡水の10パーセント以上が含まれる。氷冠の頂上までは、海面から1万フィート(3キロメートル)以上の高さがある。
グリーンランドは大半が北極圏に位置している。地球上で最後に人間が定住した場所で、それはおよそ4500年前のことだ。いまでも世界で最も人口の少ない地域として突出しており、世界銀行のデータベースでは一平方キロメートル当たりの人口がゼロと記載される唯一の国だ(このデータベースでは、すべての統計が整数で記される)。ちなみにアメリカ合衆国は同35人、イギリスは同265人である。全人口は6万人未満で、その大半はイヌイットの文化圏に所属する。最大の都市ヌークでも人口は1万6500人。町、村、コミュニティ、集落の数は、島全体で78にすぎず、住民が50人に満たないところも多い。そしてイヌイットは、自分たちの国をカラーリットヌナートと呼ぶ。
グリーンランドの文化を伝統的に支えるのは漁業と狩猟で、何百年も途切れることなく実践されてきた。主要産物はアザラシとトナカイで、栄養源になるだけでなく、衣服の材料として、さらには限定的な商取引を支える商品として重宝されてきた。イヌイット先住民の美術品、写真、文学、神話からは、彼らの故郷やしきたりの全体像がそれとなく伝わってくる。しかし何らかの貿易に関わっていないかぎり、先住民以外で現地を訪れる人や、変化が進行する様子を実際に観察できる人はほとんどいない。
経済と倫理観と荒野が複雑に絡み合っている状況に遠方の国が干渉して重大な決断を下せば、グリーンランドのような最果ての地にまで波及効果はおよぶ。1983年、カナダで子アザラシが商業目的で残酷に殺される場面が注目されると、欧州経済共同体がアザラシの毛皮の取引の禁止に踏み切り、2009年には欧州連合がアザラシ関連製品の取引を禁じた。その影響は遠くまでおよび、なかには予期せぬ結果も生じた。毛皮などアザラシ関連製品の売買を禁じられて貴重な収入源が失われると、グリーンランドのイヌイットの狩猟文化は壊滅的な被害を受けたのだ。アザラシ市場が消滅するとアザラシ猟は衰退し、その結果としてアザラシの生息数は爆発的に増加する。さらに魚を捕食する動物の数が激的に増加すると、今度は魚の生息数が減少し、自給自足の生活様式にも乱れが生じた。最近ではようやく全面的な禁止が緩和され、イヌイット文化圏では最低限のアザラシ猟が許されるようになったが、収入は激減している。今日ではグリーンランド経済のおよそ60パーセントが、デンマーク本土[訳注/グリーンランドはデンマークの自治領]から毎年提供される包括的補助金によって支えられている。現在、グリーンランドは持続可能な国への復権を目指して奮闘している。しかし、急速に進行する気候変動によって状況は複雑さを増し、課題の克服は並大抵ではない。
本書では、私が5回にわたって行なったグリーンランド遠征の経験について語る。ストーリーは3部構成で、私の認識の変化につながった一連の原体験がそれぞれに含まれる。第1章の「再発見」は、期待の裏切りについて取り上げ、知っていたはずの場所について自分がいかに無知だったか思い知らされた経験を紹介する。第2章の「統合」は、現実との妥協のプロセスを取り上げる。生物的・物理的進化の所産である私が無知なのは、人間として仕方のないことだった。そして第3章の「発現」は、私たちが世界でどんな位置を占めているのか、突然にひらめいたささやかな経験を紹介する。結局のところ私たちは、世界について理解できることもあれば、理解できないこともある。
私たち人間はこの世界に居場所があるのだから、世界に責任を持つべきだと考えるかもしれないが、実際のところ人間はかならずしも重要な存在ではない。進化は人間におかまいなく継続するもので、そこから創造される自然の圧倒的な美しさを目の当たりにすると、厳しい現実を思い知らされる。たしかに私たち人間も、進化の行方に影響をおよぼすときがある。それでも、たとえば人類が引き起こした気候変動に直面した荒野は、自分で対応策を工夫しながら再建に取り組む。
本書は時系列で進行しない。個人的な認識の変化につながった経験は様々な形で蓄積されたもので、その多くは当初は理解されなかった。そもそも新しい視点とは少しずつ徐々に獲得されるもので、ピースをすべてはめ込んだとき、はじめて全体像が浮かび上がってくる。それはちょうど、新たな洞察や認識が得られるたび、時間を超越したタペストリーの隙間にそれを埋め込んでいくようなもので、作業は決して完成することがない。
荒野は率直に語りかけてくる。私たちは信念を抱き、あれこれ想像しながら、荒野のスペースに分け入り、反響を受け取るが、いずれも従来の認識の範囲内には収まらない。手つかずの荒野は、壮大な宇宙のなかで私たちが置かれた立場について教えてくれる。だから荒野に備わった価値を読者の方々が認識し、荒野の自然を守りたいと願ってくれることを期待して、私は本書を執筆した。もしも荒野が失われれば、個人としても生物種としても、私たち人類のルーツを発見するのはほとんど不可能になってしまう。
地質学者がフィールドで調査を行なっている映像を、先日テレビで見る機会があった。乗り物は使わず、自分の足でひたすら歩き続け、岩肌をハンマーで叩いてサンプルを採集する手作業をひたすら繰り返す。そんな根気強い作業から、大昔の地球の歴史が明らかにされていく。岩石の種類や形状や色、地層のうねり具合から僅かなヒントを見つけ出し、いくつもの断片をつなぎ合わせると、最後に全体像が浮かび上がってくる。私など、奇妙な岩石や地層を見ても、その面白さに感嘆するだけだが、研究者は鋭い洞察力で切り込み、それが素晴らしい発見につながる。真摯に取り組む姿には、頭が下がる思いだ。
本書の翻訳を手がける以前にも一度、地質学者のノンフィクションを翻訳したことがあった。この本には、地球には周期的に隕石が衝突し、恐竜絶滅などの天変地異が繰り返されてきた痕跡を見つけるため、地質学者が根気強く研究を続けた成果がまとめられていた。小さな作業の積み重ねが、地球、さらには宇宙を巻き込んだ大きなスケールの謎を解き明かしていくプロセスは、とても興味深かった。本書も、スケールの大きさでは負けない。大昔のグリーンランドには何と、今日のヒマラヤやアルプスに匹敵する大きな山脈が存在していたというのだ。仮説によれば、プレート同士の相互作用か、あるいは何か別の原因によって、南から移動してきた大陸が北の大陸に衝突した結果、大陸間にあった海が押し上げられて隆起して、大きな山脈が出来上がった。しかしそれはあまりにも昔の出来事だったので、風化作用できれいに消滅したのだという。にわかには信じがたいが、本書の著者とふたりの相棒は、チームアルファというグループを結成し、謎の解明に果敢に乗り出す。
フィールドでの作業は厳しい自然環境で行なわれるものだが、チームアルファの場合は格別だ。極寒のグリーンランドのなかでも、ほとんど人跡未踏の荒野を歩き回らなければならない。本書のタイトルからもわかるように、「極限大地」である。私たちが思い浮かべる大自然の世界は、大自然といっても、どこかにかならず人間の手が加わり、アクセスが便利なように工夫されている。登山にしても、途中まで車で上り、そのあと歩いて頂上を目指す。たとえば富士山を一合目から徒歩で登る人は少ないだろう。あるいは尾瀬の湿原にしても、木道が整備されている。しかし極限の大地には、人間が手を加える余地がない。そもそも非常に寒いが、暖房器具を持ち込むことはできず、厚着をするしかない。もちろん電気はない。そして周囲には、人間がひとりもいないから、3人で助け合うしかない。そして、ここには音が存在しない。人間が暮らす世界は、たとえ騒々しくなくても、様々な音で満たされている。風が吹く音、波が浜辺に打ち寄せる音以外には、音がほとんど存在しない世界は、静まり返っているのだろう。でも、これだけ過酷な環境で、人を簡単に寄せ付けないからこそ、大昔の出来事の痕跡がきれいに残されている可能性は高く、それが地質学者にとっては大きな魅力になっている。カリフォルニア大学で教鞭をとるかつてサーフィン少年だった著者は、すべてお金で解決できる文明社会から遠く隔たった人跡未踏の原生自然に身を置くことで、自分自身に訪れた変化を哲学的に、自省録的に語っており、それが本書を魅力的にしている。岩石や地層は多くを語っていることがわかると、見慣れた風景にはどんな歴史が込められているのか興味がわく。たとえば奇岩で有名な妙義山は、大昔の火山活動で形成された後に浸食作用が進み、溶岩の岩体が露出したと考えられている。かつては、富士山のような山だったのかもしれないという。
本書は、地質学者が極限大地グリーンランドでフィールド調査を行ない、大昔の謎を解き明かすことがテーマなので、岩石や地層の僅かな特徴に注目し、それを鋭く分析していくプロセスが克明に描かれている。地道な研究成果を報告する専門書として、本書は素晴らしい内容だが、著者のウィリアム・グラスリーはそれ以外の要素も取り入れ、グリーンランドの大自然に興味のある人にとって読み応えのある内容に仕上げている。たとえば章によって時系列が前後し、著者の心の動きに沿って展開する文学的な側面を持っていて、グリーンランドの壮大な自然についての描写がふんだんに盛り込まれている。この部分も非常に面白い。先ず、真っ白な氷原や氷山の壮大なスケールに圧倒される。つぎにフィヨルドの青い海原が印象的だ。そして、ツンドラは可憐な花や地衣類で美しく彩られている。風景描写を読んでいると、美しい景色が頭のなかに自然と思い浮かんでくる。もちろん観光旅行で訪れることができるような安全な場所ではないが、素晴らしい自然を独り占めしているチームアルファはうらやましい。おまけにチームアルファは、蜃気楼に遭遇したり、濁流にのみ込まれそうになったり、ユニークな経験をしている。そして、動物たちとの出会いも印象的だ。過酷な自然環境にも、見事に適応している動物が僅かながら存在している。面白いのは蚊の大群で、少しでも気温が上昇すると、容赦なく襲いかかってくる。蚊は嫌いだが、暑さ寒さにかかわらず、どこでも生存できる逞しさには脱帽する。人間との遭遇に驚くハヤブサやライチョウ、海面いっぱいに広がる魚の群れ、岩全体にびっしり張り付いた貝、岸壁に集まった鳥の大群など、グリーンランド独特の生物との出会いを(蚊の大群は例外だが)著者は楽しんでいるようだ。
ただし、人間が簡単に住めないグリーンランドには手つかずの自然が広がっているとはいえ、大昔のままの姿をとどめているわけではない。プレートが少しずつ動いているおかげで、景色は常に少しずつ変化し続ける。何しろ、高くそびえる山脈が風化作用によって消滅するほどだから、地球の長い歴史を通じて変化は目まぐるしく進行している。自然が変わらないと思うのは、私たち人間がほんの束の間の存在にすぎないからだ。人間は文明を発達させ、自分たちが暮らしやすいように自然環境を作り替えてきたが、だからといって高等生物というわけではないし、いつか絶滅する日がきたら、人間が存在した痕跡はほとんど残されない。いまの時代の地層には、いったい何が残されるのだろうか。そして未来の生物は、そこから何を発見するのだろうか。人間は、宇宙のなかでちっぽけな存在にすぎない。その事実を、著者はグリーンランドの荒野(ウィルダネス)での体験を通じて学び、すべての人類がこの事実を学ぶために荒野は不可欠な存在であり、結びつきが断ち切られてはならないと訴えている。著者がグリーンランドでの一カ月の調査を終えて文明社会に戻ったとき、狭くて息苦しさを感じるが、それほど私たちは地球のなかで孤立しているのだろう。
今回グリーンランドで調査を行なうきっかけになったのは、著者の相棒であるジョンとカイが大事な研究成果を頭から否定されたことだった。グリーンランドでは大昔、ふたつの大陸が衝突したという説を、ふたりは丹念なフィールド調査から得られた証拠に基づいて発表し、それは好意的に受け入れられていた。ところが、ある研究者が詳しい調査を行なったわけでもないのに、その説は間違っていると非難し、それが認められてしまった。本書でも指摘されているが、科学の研究成果が100パーセント正しいことはなく、後の世代の研究者によって誤りが修正され、成果は次第に充実していくものだ。しかしこのときは、そのような展開にならず、そこでリベンジの意味も含め、チームアルファのフィールド調査が実現したのだという。ずさんな調査によって大事な研究成果を否定された後、そんな評価を覆すためにチームアルファは奮闘し、見事な成果を上げた。3人のチームワークは抜群だ。危険な目に合えば助け合って乗り切り、荒野を歩き回って一日を過ごしたあとは、テントで食事をとりながら色々と話し合う。読んでいると、仲の良い雰囲気が伝わってくる。
ところでグリーンランドを含め、地球のあちこちで大陸が移動したすえに衝突し、地形に大きな変化が引き起こされるプロセスには、プレート運動が関わっている。グリーンランドに山脈がそびえ立っていたのはずいぶん大昔で、それがプレート運動によるものかは断言できないが、その可能性は考えられるという。では、地球の表面はなぜ複数のプレートに覆われ、その動きによって様々な地学現象が発生し、ユニークな地形が出来上がり、さらにそれが変化し続けるようになったのだろう。これについて本書では取り上げていないが、かねてより気になっていた。そもそも、地球が誕生した時点からプレート運動が始まっていたのかどうか、わからないという。私は専門家ではないので、ネットなどで集めた情報によれば、地球以外の太陽系の惑星は全体が一枚のプレートで覆われているらしい。では、なぜ地球だけがユニークな存在になったのかと言えば、水の影響が考えられるという。たしかに地球は水の惑星とも言われるぐらいだから、その可能性はあり得る。水がプレート運動の引き金となり、それで地球にユニークな景観が創造されたのが本当ならば、私たち人間がそのサイクルを崩してはならない。いまや人間は文明世界での活動を通じて環境を猛烈な勢いで破壊している。たしかに人間など、宇宙のなかでちっぽけな存在であり、繰り返しになるが、いつか滅びてしまえば忘れ去られてしまう。でも、地球が誕生以来、壮大なスケールで繰り返してきた周期を乱すような行動は、慎むべきではないだろうか。人間は、地球のなかでとびきり優秀な突然変異ではない。実際、地球で新参者と言える。恐竜は、人間よりもずっと長く存在していた。恐竜は、おそらく巨大隕石の衝突をきっかけに絶滅したと言われるが、もしもこれがなければ、未だに恐竜の世界が続いていたかもしれない。
本書は、科学、野外研究、新しい自然史という3つの条件を併せ持つネイチャーライティングに贈られる最も権威ある賞のひとつで、米国自然史博物館から贈られる「ジョン・バロウズ賞」を2019年に受賞している。三拍子そろった素晴らしい本であることは間違いないので、ぜひこの機会に手を取り、荒野(ウィルダネス)や地球の未来、このふたつの要素との人間の今後の関わり方について考えるきっかけにしていただければ幸いだ。
(後略)
かつて、グリーンランドにはヒマラヤやアルプスに匹敵するほどの山脈が存在していた……。
そんな壮大な謎を解き明かすべく、グリーンランドに調査におもむいた地質学者が、
人の気配が全くしない原始の姿をとどめた自然の中に身を置くうちに、これまでにない感覚に陥っていく。
ここは地球ではなく、どこか別の惑星なのではないか。今は21世紀ではなく、氷河時代なのではないか。
白夜のせいもあり、場所も時間も曖昧になっていく中で、グリーンランドの自然に強く惹きつけられていく。
蜃気楼の美しさに目を見張り、フィヨルドの大気の層が生み出す幻想的な音の響きに驚き、
凍りつく海の渦に巻き込まれ、九死に一生を得る。
簡単に足を踏み入れることができないグリーンランドで、30億年に及ぶ地球の成り立ちに迫りつつ、
雄大な自然に圧倒された地質学者が、5回にわたる調査遠征での体験を綴った貴重な記録。