![]() | オーリン・H・ピルキー & J・アンドリュー・G・クーパー[著]須田有輔[訳] 2,900円+税 四六判上製 328頁 2020年6月刊行 ISBN978-4-8067-1602-0 人は砂浜とともに生きるのか? 砂浜を殺すのか? 地球温暖化による海面上昇で影響を受ける沿岸部の地域社会に警鐘を鳴らすとともに、 世界の砂浜にみられる浜の環境問題 ――砂採掘、海岸保全構造物、ごみ、流出油の漂着、車の走行、細菌汚染などを 具体例をあげてわかりやすく解説し、 経済活動を優先するのか、自然環境を優先するのか、 理想と現実のはざまで問題を投げかける。 日本の砂浜にも共通する問題であり、 海に囲まれた日本に暮らす人々にとって重要な視点を提起している。 今、世界的に砂浜の価値を見直す機運が広がるなかで、 これからの浜のあり方を考えるうえでの指針となる。 【原著書評より】 私たちは、寝転んだり、のんびりと時間を過ごすのに浜を利用してきた。 しかし、これからもずっと浜がそんな場所であってほしいと望むなら、 私たちは立ち上がり、私たちの声に耳を傾けてもらうべきだろう。 本書は、地球上で最も愛されるべき生態系に関する、たいへん興味深い、新たな情報を発信している。 ―――ビル・マッキベン(タイムズ誌で世界最高と称された環境ジャーナリスト) 世界の浜の窮状に関心をもつ人なら誰もが読むべき本である。 海岸工学エンジニア、海岸事業者、デベロッパー、政治家、ビーチフロント資産の所有者に、 勇敢にも真正面から立ち向かい、彼らが世界の浜に及ぼす負の影響を本書は痛烈に批判している。 ―――アンドリュー・ショート (シドニー大学地球科学部、砂浜生態学に多大な影響を及ぼしたモルフォダイナミクス(morphodynamics)の観点から浜のタイプ分けを提唱した一人) |
オーリン・H・ピルキー(Orrin H. Pilkey)
1934 年生まれ。ニューヨーク・タイムズ紙によって、「アメリカ第一の浜の哲学者」と称されている。デューク大学名誉教授。
『Global Climate Change(地球規模の気候変動)』をはじめ多数の著書があり、本書の後も、『Retreat from a Rising Sea(上昇を続ける海面からの後退)』(2016)、『Sea Level Rise:A Slow Tsunami on America's Shores(海面上昇:米国沿岸を襲う緩やかな津波)』(2019)など海面上昇による影響に警鐘を鳴らす書籍を出版している。一方、『Lessons from the Sand(砂から学ぶ)』(2016)、『The Magic Dolphin(マジック・ドルフィン)』(2018)など、子ども向けの啓発書にも力を注いでいる。
2013 年には、ノースカロライナ州のデューク大学海洋研究所に、彼の名前を冠したオーリン・ピルキー海洋科学・保全遺伝学センターが開設された。ノースカロライナ州、ヒルズボロー在住。
J・アンドリュー・G・クーパー(J. Andrew G. Cooper)
英国のアルスター大学地理学・環境科学部の教授。南アフリカのクワズール・ナタール大学の名誉教授。
『The World's Beaches(世界の浜)』(2010)や『Pitfalls of Shoreline Stabilization(海岸線安定化の落とし穴)』(2012)など、ピルキーとの共著がある。
世界各地の浜の研究や、海岸線への人の手の不介入を貫く姿勢でよく知られている。北アイルランド、コールレーン在住。
須田有輔(すだ・ゆうすけ)
1957 年2 月20 日、神奈川県鎌倉市生まれ。
東海大学海洋学部卒業、東京水産大学大学院水産学研究科修士課程修了、東京大学大学院農学系研究科博士課程修了(農学博士)。民間企業勤務を経て、1992 年に水産大学校漁業学科講師に就任。現在、国立研究開発法人水産研究・教育機構水産大学校校長・同生物生産学科教授。
おもな著書・訳書に、『砂浜海岸の生態学』(共訳・東海大学出版会)、『砂浜海岸の自然と保全』(編著・生物研究社)などがある。
東亜建設工業株式会社在職時に訪れた米国のアウター・バンクスの砂浜に魅せられ、それ以来、砂浜の魚類や底生生物を中心に、砂浜の生態系に関する研究を行っている。NPOなどとともに啓発活動にも取り組んでいる。宮崎海岸侵食対策検討委員会や海辺の生物国勢調査に関する研究会などに委員として参画している。
序
まえがき
第1章 終わりは近い!
自然の浜はどのように働くか
変化する浜
嵐、洪水、津波――強打者
砂はどこから来るのか?
浜の生命
浜とともに暮らす
第2章 身代を食いつぶす──砂採掘
深刻な浜砂採掘――4つの事例
シンガポール/モロッコ/シエラレオネ/バーブーダ
浜砂採掘と浜の未来
第3章 防ぎきれない──砂上の硬構造物
浜に及ぼすエンジニアの影響
海岸工学エンジニアがすること
浜を見下した扱い
浜の苦しみ
護岸/突堤/導流堤/離岸堤/ジオチューブ/蛇籠/まゆつば工法/瀕死の浜/養浜
破綻するための仕事?
第4章 一時しのぎ──養浜
養浜とは何か?
よい面
侵食を遅らせる/高潮の影響を軽減する/レクリエーションの機会を提供する/護岸よりはましである
悪い面
応急措置にすぎない/いたって楽観的で無能な技術が当たり前/過去の振り返りが欠如している/生態系を破壊する/沖合の生態系へのダメージのもととなる/ウミガメに害を与える
醜い面
高密度の開発を助長する/海岸利用者に危険をもたらす
養浜の未来
浜の終焉
第5章 プラスチック圏──浜のごみ
危険な標着ごみ
海浜ごみはどこからくるか?
巨大なごみだまり
終わりのみえないごみ問題
第6章 タールボールとマジックパイプ
油汚染の源
船舶からの流出/嵐/海底からの滲出/沈船に残る油/暴噴/油と戦争
浜のタールボール
油に対する浜の脆弱性
「それで?」――油流出の何が問題なのか?
どのように油を浜から遠ざけるか
第7章 わだちにはまる──浜でのドライブ
浜走行の影響
浜の美観/浜の利用を制限する/生態系へのダメージ/加速する侵食速度?/自動車事故/歩行者の死亡
さまざまな浜走行の規制
カリフォルニア州/ジョージア州/デラウェア州/ノースカロライナ州/テキサス州/オレゴン州/オーストラリア/アイルランド
どんな浜を望むのか
第8章 内なる敵──浜の汚染
細菌――善玉と悪玉
糞便汚染の指標細菌
医療系廃棄物
MRSA
有毒藻類
赤潮
鉤虫(こうちゅう)
浜をどう利用すればよいか?
浜の汚染の未来
第9章 世界規模の浜の破壊
観光によるダメージ
浜の砂の国際的な取引
世界に輸出される海岸工学
外来種の影響
気候変動と開発援助
浜の未来
第10章 終わりが来た
浜のクオリティの未来
浜自身の未来
未来へのスケジュール
今まで通りのやり方──開発が進んだ国の浜/今まで通りのやり方──高層ビルが並ぶ浜/今まで通りのやり方──発展途上国の浜/今まで通りのやり方──遠隔地にある手つかずの浜/後退を前提とした選択肢
適切なやり方がある
状況にビルを合わせる/危機的な状況にあるインフラを移転させる/海岸の後退を許容する/自然のプロセスを再生し、過去の過ちを繰り返さな/生態系を保存する
いちるの望み
浜に対する新しい見方
用語解説
付録1・2
訳者あとがき
参考文献
索引
『The Last Beach』を訳すきっかけは、世界の砂需要の凄まじさを描いたデニス・デレストラック監督のドキュメンタリー映画「Sand Wars」を観たことだ。。私自身、砂浜の魚類や小動物の研究にずっと携わってきたが、知人に教えられるまでこの映画のことは知らなかった。早速「Sand Wars」のDVDを手に入れて観たところ、本書の著者の一人ピルキーがインタビューに答えているではないか。じつは映画を紹介される1〜2年前にピルキーの本を二冊読んでおり、砂浜の素晴らしさを一生懸命伝えようという一途な姿勢に魅了され、同氏の他の著作が気になっていたところだった。俄然ピルキー・メーターが上がり出合ったのが『The Last Beach』だ。
読み出すやぐいぐい引きこまれた。夢中になったもう一つの理由は、ノースカロライナ州のアウター・バンクスと呼ばれるバリア島地域の話題が本書に多く登場することだ。バリア島は日本ではなじみがないが、世界的には多くの場所に見られ、米国では東海岸からメキシコ湾岸にかけての多くがバリア島で縁どられており、砂浜の環境保全を考えるうえで欠かせない地形である。細長い砂の島をはさんで、海側は荒々しい外海、大陸側は静穏なエスチュアリに面したユニークな地形である。建設会社に勤めていた1990年に、業界団体が主催する米国ウォーターフロント視察団の一員としてアウター・バンクスを訪ねる機会があった。雄大な砂浜の自然にすっかり魅了され、帰国後、茨城県の波崎海岸をフィールドに、共同研究者とともに、日本ではまだほとんど例がなかった開放的な砂浜での魚類研究に取り組んだ。アウター・バンクスを訪ねたことが私の現在の専門のルーツとなっており、本書には不思議な縁を感じている。
◎理想と現実の狭間で──海岸構造物をどう考えるか
本書は、著名な海岸地質学者であるオーリン・H・ピルキーとJ・アンドリュー・G・クーパーが、世界の砂浜に見られるさまざまな環境問題――砂採掘に始まり、海岸防護構造物、養浜、漂着ごみ、流出油の漂着、車の走行、細菌汚染、有機汚染、観光や国際援助による影響など――を、背景や原因を含めたいへんわかりやすく説明している。これらの問題については断片的には理解しているつもりだったが、砂浜の乾燥した砂は海水に比べより細菌汚染が進んでいることや、国際的な観光産業による環境負荷などは、本書を読んで初めて知った。どの問題も想像以上に深刻であることを知らされ、愕然とした。
本書では、東日本大震災時の津波による釜石湾の防波堤の決壊、流れ出した家財や漁具・漁船などの漂流・漂着、福島第一原子力発電所の浸水をはじめ日本の事例もいくつか取り上げられているが、大部分は海外のものだ。そのため、遠い外国の出来事だと思うかもしれないが、程度の差はあれ多くは日本の砂浜にも共通するので、本書を一冊読めば、日本の砂浜が抱える環境問題を一通り学ぶことができるだろう。
しかし、本書は環境問題の単なる列記に終わっていない。より重要なのは、全編を通して、気候変動にともなう海面上昇が進行するなか、海岸線が後退するだけではなく、砂浜に関わるあらゆる環境問題の深刻さがいっそう増すことに警鐘を鳴らしている点である。長い地質学的な歴史の中で、幾度も海面上昇の影響を受けながらも砂浜が生き残ってきたのは、嵐が来れば浜が削られ、過ぎれば再び戻るように、自然の砂浜がもつ柔軟性があったからだ。柔軟性こそが砂浜の命なのに、現代社会は護岸や突堤などの人工物で砂浜を固め、柔軟性を失わせている。そうなれば硬直化した砂浜は砂を保持することができなくなり、ソフトな安定化という言葉に惑わされるがけっして環境にやさしくはない養浜によって、人工的に砂を補給することでしか砂浜を維持できなくなっている。しかも、サンドマフィアが暗躍するほど高まる世界的な砂需要によって、良質な養浜用の砂の入手もままならない。したがって近い将来、自然の緩衝地として機能してきた砂浜が失われ、護岸で囲むことでしか沿岸部の社会は存続できなくなる。見直すのは今だ、今なら「最後の浜」を回避できる、と説いている。
とくに海岸防護構造物と養浜を扱った第3章と第4章では、米国の海岸工学エンジニアに対する痛烈な批判が展開されている。これまで行われてきた数々の海岸防護事業や開発事業が結果として問題をさらに深刻にし、多くの砂浜が失われてきたからである。
日本の巨大海岸防災構造物にも同様の指摘があてはまるのだが、我々も、海岸・海の恵みをていねいに引き出して暮らしてきた人間社会と自然との関係性にあまりにも無頓着であった。
『消えゆく砂浜を守る』(地人書館、2019年)にも、ピルキーによる数々の批判が紹介されている。
当然のことながら、それらの批判に対してエンジニアや事業者側からは、ピルキーの主張はでたらめであるとか、根拠にしている研究には基本的な資料が明記されていないなど厳しい反論がされ、両者の間でたびたび論争となってきた。ピルキーはその急先鋒として若い頃から勇名を馳せていたようである。
海岸工学の専門家ではない私は、これらの論争の詳細については知る由もないが、砂浜に対する考え方が両者の根本的な違いとなっているのではないだろうか。ピルキーの長年の研究仲間であるマイルス・ヘイズによれば、ピルキーは「なるがままにしておく("let it be" philosophy)」ことを好む人物だという。ピルキーのその嗜好は、バリア島をガイア的な存在に見立てていることに表れている。地球と生物があたかも一つの生命体のように自己調整しているとするガイア理論(あるいはガイア仮説)をバリア島にあてはめ、「そうすれば、バリア島とともに生きていくにはどうすればよいのかについての考えも浮かぶだろう。バリア島の生と死を考えることで、よい開発行為と悪い開発行為を見きわめられるにちがいない」と述べている(Pilkey O. H. 2003. A Celebration of the World's Barrier Islands.(世界のバリア島賛歌)Columbia University Press より)。本書の第1章でも、「ガイア」を「生命体」という言葉に置き換え、同様の記述が行われている。
一方、目の前の問題に対する現実的な対応を求められるエンジニアは、ガイアや生命体のような理想を語ってすませるわけにはいかない。住民の生命・財産のことを考えたら、砂浜がなくなったとしても、重厚な構造物で固めることはやむを得ない判断といえるだろう。日本でも、東日本大震災時の巨大津波の被害を防ぐことができなかったことを教訓として、よりいっそう重厚な防潮堤に減災・防災の期待をかけた地域が多い。両者ともその主張がまったくの誤りというわけではないので、私たちにはたいへん難しい選択が求められる。
これとは別に、批判の矛先は米国の海岸工学エンジニアの不誠実さにも向けられている。例えば、都合が悪くなると、「想定外の嵐」だとか、神様のせい(不可抗力)にしたりとかする(福島第一原子力発電所の事故でもさんざん聞かされたような気がする)。また、事業の目的にかなうように数理モデルの値を操作したとか、政治家や有力者に忖度(そんたく)した事業が行われているとか。これはもうエンジニアリングとは無関係な話で、倫理や不正に関わる問題である。しかし、このようなことは米国の海岸工学エンジニアに限った話ではなく、日本のエンジニアリングの世界でも繰り返されてきたことである。世界に通用する立派な技術者を育成しようと、日本のエンジニアリング系大学の多くがJABEE(日本技術者教育認定機構)認定プログラムを採用し、その一環として学生たちは技術者倫理を学んでいる。本書は、技術者倫理に悖もとる行為の事例紹介として、その授業科目の副読本にも利用できそうである。悲しいことではあるが。
◎見直される砂浜の価値
このように、世界の砂浜は不適切な管理、技術、開発によってさいなまれる一方、世界では、砂浜の価値を積極的に見直そうという動きが出始めている。一つは、近年の頻発する異常気象や東日本大震災のような巨大地震・巨大津波による自然災害を経験し、従来のように人工構造物に頼りきった対策ではなく、自然環境そのものがもつ防災・減災効果を積極的に活かそうとするEco-DRR(Ecosystem-based Disaster Risk Reduction:生態系を活用した防災・減災)の考え方の広がりである。
例えば、広い砂浜は波のエネルギーを減衰させ、背後の海岸砂丘や海浜植生は高潮や津波の進行を抑える効果をもつと期待される。これは、自然環境そのものを重要なインフラとみなす考え方であり、グリーン・インフラとも呼ばれる。日本の海岸では、植生による津波の減災効果を期待した、植生を構造物に組みこんだ「緑の防潮堤」が建設されるようになった。ただ、「グリーン/緑」という言葉には、実態を見誤らせる働きがあることにも注意すべきだろう。実際、緑の防潮堤には、「緑=人・環境にやさしい」というイメージとは裏腹に、導入する樹種による遺伝的攪乱や生態系攪乱をはじめ、解決すべきさまざまな問題があることも指摘されている。
日本では1999(平成11)年の海岸法の改正以降、砂浜を、国土保全、環境および利用の観点からインフラとみなしてきた歴史があり、海岸法にもとづく海岸保全施設の一つとして位置づけられている。しかし、これまで海岸保全施設として指定された実績はなく、20年経った2019年に入り、ようやく石川県の石川海岸が全国で初めて指定された。従来は海岸侵食が深刻化してから後追い的に対策がとられていたが、これからは最新技術を活用した予測を重視し、しかも順応的な対応がとられるようになることは、砂浜の管理において大きな前進である。しかし、もう一つの柱である環境面、つまり砂浜の生物や生態系に対しては従来と変わらない言及がなされており、「環境に配慮しつつ」程度の言葉ですまされ、具体性を欠いている。どう配慮するのかということが伝わってこない。
しかし考えてみれば、「環境に配慮しつつ」以上の言葉が出せないのは、法制度上の制限もあるだろうが、砂浜の生物や生態系に関する科学的な知見が決定的に不足していることも、大きな理由になっているのではないだろうか。つまり、配慮しようにも、依るべき科学的知見があまりにも少ないのである。
事実、砂浜の生物や生態系に関する研究は、内湾の干潟、アマモ場、河口域、サンゴ礁など他の沿岸環境に比べると著しく少なく、当然のことながら研究者もわずかしかいない。「砂浜は不毛な場所」というのがいまだに多くの人々の共通認識であり、砂浜は生息環境としての価値が低いと言いきる生物専門家さえいる。厳しい波浪環境と乾いた砂という、見かけにとらわれた先入観による誤解にすぎないのだが、専門家ですらこのような状況なので、海岸行政やエンジニアが「配慮しつつ」以上の策を打ち出せなくても無理はない。これは、生物研究者や水産研究者の責任でもある。私はこのような状況を少しでも変えたいと、思いを同じくする砂浜の仲間とともに『砂浜海岸の自然と保全』(生物研究社、2017)を上梓した。
もう一つ、観光面でも砂浜が見直されようとしている。多くの訪日外国人に日本のよさを知ってもらい、かつ、経済的な成長を図ろうと、国をあげて、観光を地方再生の切り札、成長戦略の柱と考え、真の観光立国となるための勝負をかけているという(観光ビジョン実現プログラム2019、観光立国推進閣僚会議)。砂浜については、単なる海水浴場ではなく、地域に根ざし、グローバルに拓けた、体験型コンテンツを充実させた総合的なビーチリゾートを創出させようとしている。しかし、砂浜に限らず、利用客の急増による種々の悪影響、つまり観光公害(オーバーツーリズム)がすでに表れていることは注意すべきである。ほとんど耳にしないが、日本の海水浴場の砂の汚染は大丈夫なのだろうか(第8章)。さらに、蓋を開けてみれば、結局は、「すべての種類の構造物を浜につけ加え、建築家や開発業者が夢見る美しいビーチリゾート(第9章)」がつくられただけであった、ということにならないだろうか。
本書はけっして生物をテーマにした本ではないが、随所で砂浜の生物や生態系についてふれられており、手つかずの動植物相とともに後世に浜を残したいという両著者の強い思いが、いたるところに表れている。両著者の考えには、私もまったく同感である。環境へ配慮した適切な海岸保全が行われたかどうかは必ず動植物相に表れるので、そのことを正しく評価するためにも、砂浜の生物や生態系を知ることは不可欠である。残念ながら現状では、ウミガメや野鳥の営巣をのぞけば、砂浜の生物や生態系に対する人々の関心は低いが、講演会などで砂浜の魚の話をすれば、砂浜にそんなに魚がいるとは思わなかったという声を聞き、たいへん興味をもってくれる人がいる。各地の環境NPOが砂浜の生物観察会などを頻繁に開き、また少数ではあるが、砂浜の生態系に強い関心を示す環境コンサルタント会社の若いエンジニアがいることは、砂浜生態系の未来に向けて非常に心強い。少しずつではあっても、砂浜の生態系や動植物への関心が高まることを期待したい。『最後の浜』が現実とならないようにするためにも、まず身近な砂浜の自然を知ることが大切だろう。(後略)
海浜の消長を自然まかせにすることが、なぜもっとも合理的なのか――護岸工事の「常識」を「非常識」と断罪した話題の本です。
新型コロナ禍の影響で東京近郊の海が閉鎖。そんなニュースがかけめぐるなか、海に思いをはせて、家でじっくり海岸・砂浜についての本を読むのはいかがでしょうか?
人はこれまで、のんびり寝転んだり、散歩したり、ゆったりした時間を過ごしたり、泳いだりと浜辺を利用してきました。ですが、浜はいつまでも変わらずにそこにあるのでしょうか?
本書は、長年、世界の海岸地質・地形学をリードしてきた著者が、地球温暖化による海面上昇と海岸線の後退、世界の砂浜にみられる環境問題――砂採掘、海岸防護構造物、ごみ、流出油の漂着、車の走行、細菌汚染など――、生態系としての浜を、具体例をあげてわかりやすく解説し、これまで行われてきた人工構造物による海岸保全の非合理性を浮き彫りにします。
取り上げられている事例は世界のものですが、巨大防潮堤の是非など、その多くは日本にも共通する問題で、海に囲まれた日本に暮らす人々にとって重要な視点を提起しています。
もしこれまでのような、多様性があり、自然の恵みを享受できるような浜であってほしいと望むなら、是非読んでいただきたい一冊です。