| ハーラン・レイン[著] 斉藤渡[訳] 前田浩[監修、解説] 2,500円+税 A5判並製 272頁 2018年6月刊行 ISBN978-4-8067-1560-3 17世紀革命前夜のパリから出発し、手話を育みながら公的なろう教育の礎を作り、国を超え、 ヨーロッパ・アメリカの2大陸をまたいで、手話コミュニティのネットワークを築いたろう者たち。 19世紀後半から、電話の発明者ベルを筆頭に「善意」の聴者たちが、 ろう者の手話とその歴史を否定していく。 逆境の中で、自らの人間的尊厳をかけて、 手話言語とろう者社会を守ってきたろう者たちの闘い。 これまで知られていなかった手話言語とろう教育の真の歴史を生き生きと描きだしながら、 言語・文化の意味を問いかける名著。 フランス革命やナポレオンの台頭と没落など、歴史の大きなうねりの中、 フランスで生まれ育ったろう少年ローラン・クレール。 クレールが世界初のろう学校で教育を受け、自らも教師となり、 トーマス・ギャローデットの招きを受け、 ろう教育を広めるべくアメリカの地を踏むまでを、 フランスとアメリカのろう教育の変遷とともに語る。 【読書人WEB「手話を排除する歴史との苦悩」対談=斉藤渡×前田浩/牧原依里】 【手話の歴史 下】 |
ハーラン・レイン(Harlan Lane)
言語心理学と言語学の専門家であるハーラン・レインは文学学士、文学修士をコロンビア大学で取得し、
ハーバード大学のB. F. スキナーの下で心理学博士号を取得した。
また、パリのソルボンヌ大学から文学博士号を授かった。
その後、ミシガン大学の言語及び言語行動調査センター長となり、
サンディエゴのカリフォルニア大学の言語学の客員教授、ボストンのノースイースタン大学の心理学の特別名誉教授となった。
著書『アヴェロンの野生児研究』(福村出版、1980年)では、野生児に関する研究で大きな賞賛を受けた。
また、ろう者の歴史に関する、フランス語からの翻訳『聾の経験』(東京電機大学出版局、2000年)を編集した。
その他、現代のろう者の言語に関する研究を概説した『アメリカ手話学の近況』(フランソワ・グロージャン共編、1989年)や、
『善意の仮面』(現代書館、2007年)などがある。
斉藤渡(さいとう・わたる)
1954年群馬県で生まれる。京都大学文学部西洋史学科卒業。
大阪府立長吉高校、同生野高等聾学校教員、あすくの里職員を経て、2007年より大阪ろうあ会館勤務。
通訳相談課・労働グループ・大阪府委託ワークライフ支援事業担当。手話通訳士。
前田浩(まえだ・ひろし)
1953年大阪で生まれる。同志社大学法学部卒業。大阪教育大学院修士課程障害児教育学専攻修了。
大阪市立聾学校(現大阪府立中央聴覚支援学校)教員を経て、大阪ろう就労支援センター勤務。
序文
第1部 生まれ育つ手話社会
第1章 ろうの少年の人生が動き出す
ローラン・クレールの生い立ち
フランスろうあ学院に入学
手話との出会い
ジャン・マシュー先生の授業
初恋と反抗
第2章 フランス革命とろう教育
ろうの教育者、ジャン・マシュー
革新者の歩み
革命の嵐の中で
ナポレオンを動かす
第3章 ろうあ学院第二代校長、シカールの功罪
野心家、シカール神父
シカール神父の公開授業
辞書に名を刻んだシカール
栄光と転落
第4章 ろう教育の誕生
劇「ド・レペ神父」の成功
ろう少年誘拐事件
ろう教育の先駆者、ド・レペ神父
劇的展開
容疑者逮捕
ド・レペ神父の献身
誘拐事件の裁判の行方
ド・レペ神父とろう者との出会い
ろう教育と手話言語
方法的手話
方法的手話の限界
ろう教育の発展
ド・レペ神父の晩年
誘拐事件のその後
第5章 話せるろう者
口話主義者の歴史
口話教育成功の嘘
口話主義者ペレイラと、生徒マリー・マロワ
ペレイラと口話主義とキリスト教
ペレイラの秘密の教育法
知の殿堂、科学アカデミーへの報告
ろう者が王に拝謁する
発話するろう者、サブルー
空っぽの秘密
ボネートの手引書
王侯貴族とろう教育
発話教育の祖、ペドロ・ポンセ・デ・レオン
ヴェラスコ家とろう教育
手話への非難
ド・レペ神父の目指したもの
ペレイラの敗北
ドイツの口話主義――アンマンの主張
アンマンからハイニッケへ
イギリスの口話主義――ウォリスの悪評
イギリスろう教育の首領(ドン)、ブレイドウッド
アメリカからの最初の生徒
アメリカにろう教育の種をまいた、フランシス・グリーン
口話主義の歴史の欺瞞
第6章 口話主義者との闘いは続く
手話社会発展のキーマンたち
ろう者の友、ベビアン
ベビアンの苦闘と忍び寄る不吉な影
新たな口話主義者、ジャン- マルク・イタール
アヴェロンの野生児
野生児への教育
名をあげるイタール
野生児教育の限界と挫折
ろう者の「治療」が始まる
ろう者への無理解
耳の訓練から発話指導へ
イタールの転向
イタールの到達点
ろう者への圧制、再び――ド・ジェランド男爵
ド・ジェランドのろう者観
フランスろうあ学院の混乱
口話の強制は続く――デジレ・オルディネール
口話の強制は続く――アレクサンドル・ブランシュ
聞く耳を持たない聴者たち
第7章 アメリカろう教育とトーマス・ギャローデット
ろう教育がアメリカへ
シカール神父のロンドン行き
ローラン・クレール、トーマス・ギャローデットと出会う
アメリカの隣人たち
ギャローデットが育った、ピューリタンの町ニューイングランド
アメリカろう教育の機縁、コグズウェル家
アリス・コグズウェルの病
天賦の才を持つギャローデット
ギャローデット、ろう教育に目覚める
学校で学ぶアリス
リディア・シガニーの行きすぎた、ろう者の美化
ろう学校開設に動き出すメイソン・コグズウェル
根回しを始めるメイソン
ロンドンろうあ学院を視察するトーマス
トーマスに立ちふさがる大きな壁
トーマスの苦悩
エジンバラで打開を図る
イギリスを離れフランスへ
フランスでシカール神父に教えを乞う
トーマスからの誘い
クレールの一大決心
辛い別れ
船出
人物一覧
索引
手話言語の法的認知を目指す今こそ、我々はこの本から手話を守り育てた欧米の歴史を学ばなければならない。
久松三二(一般財団法人 全日本ろうあ連盟 常任理事・事務局長)
「目」と「手」で語り継がれた手話と教育の歴史に「心」を開き、「耳」を傾けてください。
小田侯朗(愛知教育大学教育学部特別支援教育講座 特別教授)
ろう教育のこれまでの歴史を振り返ってみると、指導法として手話を使うのか手話を使わず口話で行うのかの攻防の歴史であった。
教育の歴史の中で、このような二律背反の価値観を右往左往することが少なくない。学力重視かゆとり教育かというのもまさにこれである。
しかし、二律背反の一方を支持し実践してうまくいかなかったら他方を支持するということを繰り返していたら、
振り子のように同じところを行ったり来たりするだけで、それ以上の発展は期待できない。
この振り子から脱却するには、アウフヘーベンすなわちそれぞれの教育で何が得られ、
何が課題として残ったのかをしっかりと整理し清算する必要がある。
本書は、フランスで始まった手話法によるろう教育がアメリカに伝えられ、
アメリカで発展する歴史を詳細な資料をもとに丁寧に記述した本である。
そして、手話法が口話法に批判されながら、逆境の中で手話を守ってきた歴史の書でもある。
このようなアメリカのろう教育の歴史の変遷は、我が国の手話法と口話法の攻防の歴史と重なる。
手話か口話かという二律背反の価値観から脱却するために、この本を通して事実としての歴史をしっかり学び、
そしてこれからのろう教育を考える際には、その歴史に学ぶことが何より重要であると強く感じさせる一冊である。
武居 渡(金沢大学学校教育系 教授)
情熱を内に秘め、論争を辞さず、時には毒さえも含む……(本書で)膨大な知識から力強く再現された歴史には、
ろう者……の世界への深い共感が流れている。
オリバー・サックス(脳神経科医、『レナードの朝』著者)
一見して、人は人類が多様であることを強く恐れ、社会の制度によってその多様性を制限しよう、あるいは根こそぎなくしてしまおうとしているように思われる。
私は心理学者として、このような恐れについてより研究したい、そして、言語心理学者として、その恐れの気持ちから出てきた言語政策についてより研究したいと考えてきた。多様性への恐れから多数者が少数者(マイノリティ)を迫害する時、その動機や方法がどのようなものであるかを研究するには、聴者の社会と、手話で話すろう者のコミュニティとの関係の歴史は格好の事例となる。無理にでも少数者を同化させようと試み、それがうまくいかなければ生物学的欠陥をあげつらい、学校教育を通して多数者の価値観を子どもたちに吹きこむ――こうしたこと、またはそれ以上のことは、他の少数者のコミュニティの厳しい状況をよく知る読者には、おなじみのものだろう。手短に言うと、本書は偏見を解剖していこうとする研究である。
聴力損失は、手話コミュニティに属する多くの人にとって悲惨な問題であるとされてきたが、それは社会的な問題を医療レベルの問題として片づけようとする人たちの考えによるものである。しかし手話コミュニティに属する多くの人、アメリカで手話を使用する約200万人の男女は、通常の意味での障害者ではない。そこには、障害の問題ではなく、はるかに大きな言葉の壁の問題がある。私のろうの友人たちはそう言い、そうした考えの根拠も示されてきている。とすれば、我々聴者は、なぜ、ろう者を障害者、身体的欠陥を持つ人とみなしてきたのか? 我々、そして我々の社会制度は、なぜろう者を、スペイン語を母語とするアメリカ人のようにではなく、盲(もう)のアメリカ人と同じように見てきたのか? いったいなぜなのか?
医学的モデルの考えにより、我々の社会は無責任にも、ろうの子どもたちを、彼らの人生の基礎が形成される手話コミュニティから引き裂き、いやおうなしに「普通」校に投げ入れた。まるで、ろうの子どもたちが音声言語を話すように装えば、聴者と同じように成長していけるとでもいうように。ある健聴の教育者たちは、このように聴者に近づかせることが統合の第一歩であり、統合――他者を自分たちに似せていく――は自明の善であると答える。しかし、普通校での教育が言葉の壁に対し手をこまねいたままおこなわれるなら、こうした接近は、あるろうの教育者の言葉を借りれば、犬とそのノミとの関係でしかない不毛なものであることが明らかになっている。メインストリーミングの運動は、手話コミュニティの思いなどほとんど考えることなく進んでおり、健聴の支援者たち――耳科学者、オーディオロジスト、言語療法士、ろう教育関係者たち――と、手話コミュニティとは常に対立関係であり続けた。このような体制の人々が医学的モデルにしがみついている限り、手話コミュニティと共に、それに代わる新たな次元に足を踏みだすことはできない。
だからこそ、言語を研究する者に対して、少数者であるろう者の歴史を語ることが必要になってくる。ろう者問題を研究しようとする聴者たちは、彼らは少数者などではなく、したがって語るべき少数者の歴史もないという前提で進めてきた。また最近まで、ろう者自身がろうコミュニティの歴史を書くこともなかった――ろうの子どもたちにろうの医学的モデルを教えこむ体制の効果が表れた痛々しい証拠である
健聴であれ、ろうであれ、特に手話コミュニティの外側にいる人たちの中には、記録に対する私の解説の仕方に対して反感を持つ人も多いだろうと思われる。ある人は第一に、手話コミュニティは言語的少数者であるとする見方に反対する。また他の人は、手話であれ、音声言語であれ、その他の何であれ、少数者にとって一番重要なのは、同化することであると主張する。少数者と社会とのあるべき関係については、広く熱い議論が交わされてきたテーマであり、手話コミュニティと聴者の社会とのあるべき関係は、200年を超えて熾烈な論争のテーマであった。この本の歴史観と相いれない考え方を強く持つ読者やその他の人たちは、より公平な評価とされるものや、厳然たる事実の報告と呼ばれるものの方を強く好む人たちでもあるだろうが、それは、かえって歴史を見落とすことにつながる。
むしろそれとは逆に、歴史は何かの視点なしには書けないものであり、あるいは、仮に視点なしで書けるとしても、視点を持つべきである。歴史は解釈することと深く結びついている。なぜなら、一つには、歴史はたえず無限の事実の中からの選択をおこなっているからである。歴史はまず領域を決めるが、それは、ある期間、民族、個人を除外し、別の期間、民族、個人に焦点をあてることである。その領域の中での資料は完全にそろっているわけではないが、歴史家は、十分に立証された事実の中から、その重要性に合わせ、あるものは引用するが、あるものは引用しない。つまり歴史家は、ある視点から彼が選び取った事実をその視点にそって配列し、それを描き出す中で、彼の歴史に関する解釈を発展させる。
このように考えると、ある言語コミュニティの歴史を研究することと、その言語コミュニティの文法の研究にはいくつかの共通点がある。両者ともに、選択された事実を思慮深く説明しようと試みる理論であり、また、その選択は、理論自体の本質に結びついている。多くのアメリカ手話の文法がありうるのと同じように、多くの手話コミュニティの歴史がありうる。そして、私たちはそれらの中から選ぶことができる。理論は当然社会の産物であり、かくも長くアメリカ手話の言語としての解明を遅らせたのと同じ文化的圧力が、その手話を使うコミュニティの歴史研究を遅らせてきた。ろうコミュニティは、音声言語を手指に変形させたもの以外には、それ自身の言語を持ってこなかったと聴者は考え、ろう者にそう教えてきた。それと同じように、ろう者はせいぜい聴者の歴史の中の一章(通常それは「ろう教育」と題される)以外には、独自の歴史など持ってこなかったと聴者は考え、ろう者に教えてきた。
たとえ我々が歴史を記録の山として書けるとしても、そうしてはならない。もし、「人々も政治も歴史からは何も学んでいない」というヘーゲルの主張に真実があるのなら、それは、著述が一般の人々の関心を呼び起こすことによって、人間社会のありように影響をあたえたいと思う私のような歴史家には刺激的な言葉である。さらに、そのテーマが、私のものがそうであるように、基本的な人間の尊厳に対する継続的な暴力に対して向けられるものであるならば、歴史家は自分の人間性を否定し、中立を装うべきだろうか?
繰り返し言うが、歴史は何らかの視点を持って書かれているに違いないし、そのように書かれねばならない。とすれば、読者に対し、私の視点を次のように明らかにしたい。近年、アメリカ手話は自然言語であると言語学的に証明され、手話コミュニティは言語的少数者であることが明らかになっている。この本で述べる歴史は、その方向から光をあてた彼らの闘いの記録の解説である。
手話コミュニティへの教育の創設から、その少数者の教育の放棄までの150年間――西洋啓蒙運動の中期から1900年まで――は、研究にとって、(作家、歴史家バーバラ・タックマンの言葉を使うと)凝縮した期間であると私には思える。近年、あちらこちらでわずかな動きの萌芽は感じられるが、実際、その教育に関して西洋社会は1900年以降、基本的には何も変わってこなかった。それに対し1900年以前のこの期間は、ろう者の言葉によるろう教育がありえた時期であり、その大局を見渡せる見地から、私は、ろう者の歴史の中で中心人物となるローラン・クレールに焦点をあてて検証していく方法をとった。
全米ろう協会のシンポジウムで、ギャローデット大学演劇科の著名な主任教授であるジル・イーストマンと私が、アメリカのろう者集団の歴史を描いた寸劇を(英語とアメリカ手話との同時表現で)披露した時、私たちは次の言葉から始めた。「私の名前はローラン・クレール」。私はこの本でもその言葉で始めようと思う。クレールはフランスの、次にはアメリカのろうコミュニティの知的リーダーだった。彼は、私が言った「凝縮した期間」の主要人物のほとんどと個人的な知り合いであるか、近いところにいた。そして、彼はその歴史を動かした主要な一人だった。クレールの経験や考え方がどのようなものであったかを学ぶため、私は、出版された彼の論説や講演や日記、そして、自叙伝的な書き置きやジャン・マシューとの共著の本、イェール大学のクレール文庫、国会図書館のギャローデット文庫、さらには、彼の意見を述べたり引用したりしている無数の文書を調べた。こうしたさまざまな資料や記事を使うことによって、私はしばしばクレール自身に語らせることができた。それができない時は(クレールが物事を別様に考えたとは思えないところで)、クレールの同時代人たちの考え方が指
針となってくれた。事実が知られているところでは事実に忠実に、そして、想像力が広がり過ぎるのを何とか抑えてきた場面では、それを注に示した。
私はあえてクレールの名前で語ったが、それは、ろう者自身の考え方をはっきりと説得力を持って述べるためである。では、その考え方とはどのようなものか? それはこの本で語られているが、ろうの雄弁家、作家で、校長にして全米ろう協会の初代会長であるロバート・P・マグレガーの次の言葉に集約される。
「では、誰によって手話は禁止されたのか? 自分では手話を理解していないし、したくないと公言していた何人かのろう学校の教師によって。実は言語については無知な何人かの慈善家によって。自分たちのろうの子どもが幸福になるための必要条件を理解せず、教師や慈善家から誤った恐れを植えつけられた両親によって」
「この人たちは互いに結びつき、限りない富に支えられて、多くの男女を派遣し、メインからカリフォルニアまで全国を一年中行脚し、手話について、誤った、こじつけの、作り物の考えをまき散らし、育てた。また、この人たちは新聞社にも近づき、金のない人気取りの作家を利用して、古いものを新しく見えるようにし、知識のない人たちに白いものを黒いと信じこませた。そして最悪なことに、この人たちは手話に対して無分別で有害な宣伝をおこなうことで、ろう者そのものを否定した。ろう者に対しては、恩恵を施す以外のことはしないと公言しながら、この人たちは、ろう者の意見、希望、要求を完全にさげすんだ」
「そしてなぜ、我々は、我々にとって重要な問題について意見を求められないのか? この疑問には、誰も納得がいく答えを出していない」
「暴政が、鎧に覆われた腕を被支配者たちに振りおろす時、行きつく果ては、その民族の言語を禁止することであるが、最大限の厳しさでそれをおこなっても、行き渡るには数世代の時間を必要とする。しかし手話を禁止する試みは、どこでおこなわれようとも、著しい失敗に終わっている。ドイツやオーストリアで百年も手話が禁止されてきても、手話は今なお花開いている。そして、時の尽きるまで、花開き続けるだろう」
「どのような極悪な罪を犯したがゆえに、ろう者は自らの言葉を禁止されねばならないのか?」
18世紀半ばまで、ろう者のいる家族の中で使われていたホームサインだった手話が、どのように言語として形作られ、
独立した言語的マイノリティとしての手話コミュニティが作りあげられていったのか。その闘いの記録が綴られます。
一方で、口話主義者が台頭し、手話を知ろうともしない聴者によって、手話教育が風前の灯火にまでなったこと。
今日、当たり前のように目にするようになった手話の、知られざる波乱万丈の歴史を描いたレインの名著を、
自らもろう教育に関わってきた訳者による、臨場感あふれる翻訳でお届けします。
下巻には、同じくろう教育に関わり、現在もろう者への支援活動に従事している前田浩氏による、
日本でのろう教育の成立と戦後の義務制施行に至るまでの解説を付け、
世界と日本のろう教育の流れの理解が深まるようにしました。