黒�蜷ｳ典（くろやなぎ・まさのり）
専門は生薬学、天然物有機化学、有機立体化学。
1968年、静岡県立静岡薬科大学（現：静岡県立大学薬学部）修士課程修了。
1968年、国立衛生試験所（現：国立医薬品食品衛生研究所）研究員。
1978年、薬学博士学位取得（東京大学）。1978 年、静岡県立大学薬学部教員。
1982年、米国コロンビア大学留学。1998 年、広島県立大学生命資源学部（現：県立広島大学生命環境学部）教授。
2009年、同大学名誉教授。
2012年より、静岡県立大学客員教授。
『健康・機能性食品の基原植物事典』（中央法規、2016 年）を分担執筆。

はじめに

第１章　生命を支える光合成
生物進化と植物の誕生
ミトコンドリアの共生は細胞の多細胞化を可能にした
光合成――化学的に困難な反応を可能に
光合成の仕組み
明反応と暗反応
地球の炭素循環は植物が駆動する
■コラム１　地球生命はすべて同じ祖先から
■コラム２　共生による進化の加速
■コラム３　植物の光情報受容体

第２章　二次代謝産物――化学戦略の主役
一次代謝と二次代謝
二次代謝産物
　テルペノイド――花の香りからフィトンチッドまで
　ポリケタイド――脂肪酸も仲間
　フェニルプロパノイド――C6-C3 の炭素骨格を持つ
　フラボノイド――生活習慣病予防への期待
　アルカロイド――合成医薬品の開発に貢献
　複合経路――多彩な天然物を演出
■コラム４　配糖体
■コラム５　ホルミル基を持つ化合物の不思議
■コラム６　有機化合物の三次元構造

第３章　発生、分化、成長と植物ホルモン
植物ホルモンの役割
　オーキシン――ダーウィンから始まった研究
　サイトカイニン――植物の老化を防止する
　エチレン――野菜・果実の鮮度を操る
　ジベレリン――日本人科学者が解明に貢献
　アブシジン酸――種子や芽の休眠、乾燥障害防御に働く
　ブラシノステロイド――細胞伸長や維管束形成作用
　ジャスモン酸――ジャスミンの香気物質が生体防御に働く
　ストリゴラクトン――菌根菌との共生を誘導
■コラム７　植物細胞と動物細胞

第４章　戦いと共生
対植物・対昆虫の戦い
　他感作用――アレロパシー
　ファイトアレキシン――病害防除に働く抗菌物質
昆虫・微生物の利用と共生
　植物が害虫の天敵を呼ぶ
　マメ科植物と根粒バクテリア
　植物と菌根菌との共生
　植物間のコミュニケーション
■コラム８　昆虫の食草

第５章　繁殖戦略――鮮やかな色と甘い蜜
花と果実の色
　アントシアニン――鮮やかな花の色を演出
　カロテノイド――トマトの赤色、イチョウの黄色
　ベタレイン――ナデシコ目の一部の科に特異的な色素
　フラボノイド――抗酸化活性を持つ黄色い色素
　その他の色素
紫外線ストレスと植物色素
虫を呼ぶ花や果実の香気成分
植物起源の甘味成分
■コラム９　ヒトが光を感じる仕組み
■コラム10　有害紫外線

第６章　食害を防ぐ有毒物質
　トリカブト――毒と薬は表裏一体
　ドクウツギ――甘い果実は誤食に注意
　ドクゼリ――セリとの違いは根の形
　ヒガンバナ――赤い花は秋の風物詩
　スイセン――誤食例の多い園芸植物
　ステロイドアルカロイド――ジャガイモの芽や青くなった皮には注意
　クラーレ――南米原住民が狩猟に用いた
　ハシリドコロ――サリン事件で治療に貢献
　シアン配糖体――バラ科植物の種子にご用心
　強心配糖体――世界で知られるキョウチクトウの毒性
　トウゴマ――最強の有毒タンパク質
　ツツジの仲間――美しい花を咲かせる有毒植物
　大麻――幻覚作用が社会問題に
　イラクサ――触れると痛みやかゆみを引き起こす
　サトイモ科――身近な食品のエグミの原因、シュウ酸カルシウム

第７章　発がん物質
　発がんプロモーター
　ワラビ――灰汁抜きでなくなる発がん性
　ソテツ――沖縄などでは救荒植物に
　ピロリチジンアルカロイド――肝硬変やがんの原因
■コラム11　アサギマダラ――２０００kmを渡り、有毒物質を摂取するチョウ

第８章　植物が動くメカニズム
　オジギソウの急激な動き
　就眠運動――ゆっくりとした動き

あとがき
用語解説
参考文献
索引

　植物は多彩な二次代謝産物（天然有機化合物）を生合成し蓄積しており、その人間に対する有用性が注目されてきた。しかし、植物にとっての二次代謝産物の存在意義についてはあまり議論されてこなかった。近年、植物の成長と繁殖のための生命活動を巧みにコントロールしている二次代謝産物の役割が明らかになってきており、植物による化学戦略が解明されつつある。
　大学の薬学部や農学部、理学部、工学部には天然物化学という研究領域がある。天然物化学という言葉は、何となくわかるようでよくわからない言葉かもしれない。この領域の研究では植物、微生物、海洋生物などから生理活性物質や生物の興味深い現象に関連した物質を探索・研究すること、また新しい天然有機化合物を分離しその化学構造を決定し、医薬品や有用物質等の開発につなげる研究を行っている。特に、植物には多彩な有機化合物が数多く含まれているため、薬用植物をはじめとして植物の成分に関する研究が広く行われ、植物起源の多くの医薬品も開発されている。
　いろいろな植物材料から生理活性物質の分離と化学構造の決定を行っていくと、植物からは多彩な化学構造を持つ天然有機化合物（二次代謝産物）が分離されてくることを経験する。この分野の研究報告やデータベースを調べても、植物が天然有機化合物の宝庫であることを実感させられる。植物からは５万種以上の天然有機化合物が見つかっており、未確認のものを含めればこの数倍は存在すると考えられている。
　でもなぜ、特に植物はこんなに多様な有機化合物を生合成して蓄積しているのだろうか、植物にとってどんな意味があるのだろうかとの疑問が当然湧いてくる。筆者が若かりし頃、高名な天然物化学の研究者に疑問をぶつけても、“サー、よくわからないね、何か意味があるのだろうね”程度の答えしか返ってこなかった。当時は、天然有機化合物は、それを生合成している生物にとって何かの役に立っているのだろうねとか、単なる老廃物なんじゃないか程度の認識しかなかった。
　しかし、一つの成分を生合成するにも、場合によっては十数段階の反応を経なければならず、そのためには十数種類もの酵素が関与することになり、成分の生合成には大変なエネルギーが必要となる。
　最近になり、天然有機化合物がいろいろな場面で、植物の成長や生存に絡んでいる例が報告されるようになった。考えてみると、大変なエネルギーと複雑な生合成過程を経て作られた天然有機化合物が植物にとって何も意味がないはずがないというのが当然で、植物の生存のための化学戦略が見えてくる。
　冬が終わり、春になれば、途端に大地は活動を始め、草や木が芽を吹きだす。そして、コブシ、モクレン、ユキヤナギが咲き乱れ、サクラの便りもやってきて人々はお花見を楽しむことになる。そうこうするうちにフジやツツジの季節がやってくる。梅雨を迎え、アジサイの季節には若葉が香り、田植えの季節も終われば緑の水田が広がる景色を見ることができる。
　夏になれば野山は緑であふれ返り、田んぼは緑のイネでしきつめられ、公園や道路沿いにはキョウチクトウの花が咲き誇り、ヒマワリ畑を訪れることが楽しみな夏が過ぎると、ナシやブドウなどの果物が出回る。秋になればハギやコスモスが咲き誇り、イネは豊かに実り、重そうな稲穂が垂れ下がり収穫の季節を迎える。やがてカキの実が熟し始め実りの秋の到来を実感し、晩秋になるとカエデやイチョウが色づき人々は紅葉を楽しめる。このような植物が主役の季節の変化は、人々の日々の生活に潤いを与えてくれる。
　植物が地球上のあらゆるところで繁殖し、花を咲かせ、果実を実らせているのは、何も人々の目を楽しませるため、人々の役に立つためにやっているのではなく、ただ単に植物自身の繁栄と子孫を残すための生物本来の役目を全うしているのである。穏やかに見える植物の生活においても、生きていくために大変なことがあるはずである。本書では、そのような植物たちの繁殖・生存戦略を、彼らが作り出す天然有機化合物を中心に紹介する。
　
　植物は大地に根を下ろし生きていく道を選んだ。動物のように、食料を探し求めて移動することができない植物は、生きていくための糧（かて）を自ら作り出す光合成という手段を持っている。光合成により、自らの糧を作り出すだけでなく、地球生命の維持のための炭素（エネルギー）循環を駆動し、必要なエネルギーを供給する役割を担っている。植物の光合成で我々地球の生物は生かされているのだ。光合成こそ植物にとって最大の化学戦略であることを、第１章で述べる。
　動くことができない植物は、雨風、乾燥、低温、高温等の環境の変化にさらされ、昆虫、鳥や動物による食害、微生物やウイルスによる感染に常にさらされ、さらには植物同士での繁殖地の争奪戦にも関わらなければならない運命にある。しかし、植物は移動しストレスから逃げることはできない。
　そのため、障害や外敵に負けないで生き抜くいろいろな方法を編み出さなくてはならない。そんな植物は、多彩な二次代謝産物を生合成して用いる化学戦略という、植物特有の方法を編み出し進化させている。植物の化学戦略の主役でもある二次代謝産物とはどんなものかを第２章で詳しく述べる。
　植物は、季節という時間の移り変わりに従って、決まった時期に発芽し、大きくなり、葉を茂らせ、花を咲かせ、そして果実を実らせ子孫を残す。このように季節変化に応答し、決まったサイクルで生活を続ける植物には、動物やヒトと異なる生命維持のメカニズムがあり、その中心を担うのが植物ホルモンという植物独特の生理システムであることが明らかになっている。動物のホルモンのシステムとはまったく異なる植物ホルモンは、比較的単純な化合物が、複雑な生命現象を見事にコントロールしている。この完璧な働きには驚かされる。植物ホルモンによる巧みな化学戦略を第３章で述べる。
　一受け身な感じのする植物だが、植物同士でも繁殖場所の争奪戦のため化学物質を用いて競争相手を排除している。また、昆虫や動物による食害から逃れるため、忌避物質や摂食阻害物質、有毒物質を使って食害を防いでいる。病原菌に対抗するため、状況に応じて、抗菌物質の生合成を行い病原菌による感染を防いでいる。ここでも植物の巧みな化学戦略が見られる。
　一方、植物は他の生物といつも敵対して対抗しているだけでなく、他の昆虫や微生物とやり取りすることで、お互いにとってメリットのある関係を構築して助け合って生きていく方法も編み出している。そこでも、植物が生合成した成分がシグナル物質として働いており、化学戦略が見られる。植物が他者との戦いや共生にどのような化学戦略を編み出しているかを第４章で述べる。
　現在、地球上の植物の中では被子植物が最も繁栄しているが、子孫を残すため効率的な生殖を行う必要がある。特に花粉の放散を昆虫などに依存して行う虫媒花では、花の色、形、さらには蜜や香りなどで昆虫を引き寄せることで効率的な生殖を図っている。そこでは、色素や香り、甘味物質など植物成分が関わっており、ここでも化学戦略が行われている。植物にとって重要な繁殖戦略である花の色や香りについて第５章で述べる。
　一般的な化学成分に比べ植物成分は有毒なものが少ないといわれているが、植物は、外敵から身を守るため有毒物質を蓄積しているものも少なくない。有毒植物の誤食による食中毒がしばしば社会問題となっている。また、山菜として食べる植物の中には発がん性を示すものもある。身近な有毒植物について第６章で、発がん物質を含む植物については第７章で述べる。
　植物は動くことを放棄し、地に根を張り生きていく道を選んだため、能動的には動かないものと考えられている。実際、動く植物を見ることはほとんどないが、オジギソウやハエトリソウなど一部の部位が動く現象を目にすることがある。このような動きがどのようにして行われるのか、またそこで働く化学物質について第８章で述べる。
　加えて、植物の化学戦略に関連した興味ある事象についてコラムで述べた。また、難解と思われる生物学・化学用語は巻末で解説をつけたので、参考にしていただきたい。
　このように植物は、化学戦略をフル活動させることで、厳しい生存競争を克服し地球上で繁栄を遂げているのである。こんな植物の生きんがための化学戦略に関し、最近までに明らかになっていることをできるだけ平易に記述したつもりである。化学式には苦手意識を持つ方が多々おられるものと思うが、本書の内容は「化学戦略」ということで記述せざるを得ない面がある。化学式が苦手な方は、何となく一瞥して素通りしていただければと思う。

植物をより深く理解したい方必読！
身近な植物の、化学物質の生産という地道で多彩な生存戦略がわかります。

日本人が縄文時代から食べてきたワラビ。じつは発がん物質を含んでいるのですが、灰汁抜きをすることで発がん性はほとんどなくなります。
本書のカバーを飾るアサギマダラは、有毒物質・ピロリジンアルカロイドを含むフジバカマなどの蜜を吸い、体内に蓄えることで外敵の捕食を逃れています。
これらの発がん物質や有毒物質は、根づいた大地から動けない植物が、生存や繁殖を有利に進めるために体内で生合成したもの。その種類は見つかっているだけでも５万種以上にのぼります。
本書ではそんな物質がどう作られ、どのように働いて植物を生かすのか、生薬学の専門家が解き明かします。