| 細川あつし[著] 1,800円+税 四六判並製 224頁 2015年9月刊行 ISBN978-4-8067-1502-3 英米で確かな潮流になったビジネスモデル―――稼いだ分だけ、会社とプロフィット・シェアする―――コーオウンド・ビジネスを日本ではじめて本格紹介。 終身雇用型の高福祉経営から株主価値極大化経営へ、一足飛びに転換した日本のビジネスモデルでは、会社の稼ぎはすべて、従業員や社会とは無関係の株主へ。 一方、米国では、すでに民間雇用の10%が「従業員が大株主」のコーオウンド・ビジネスだ。 英国では副首相が2020年までにGDPの10%を、コーオウンド・ビジネスで稼ぎだすようにすると宣言。政府も税制優遇し、法制度でもバックアップ。 普通のビジネスより利益も成長率も高くて、しかも社員みんながハッピー。会社の持続性も高く、またオーナー創業者の事業承継戦略としても有効性が高い。 社員9万人の英国デパートチェーン「ジョン・ルイス」からスポーツ食品メーカー「クリフ・バー」、ゴアテックスなどの素材メーカー「ゴア」まで、 成長を続ける「従業員が所有する会社」―――コーオウンド・ビジネスの世界を、はじめて日本に紹介し、会社のもうけが適正に従業員、 社会に還元されるビジネスモデルの日本への導入を提言する。 |
細川あつし(ほそかわ・あつし)
数多くの国際ブランド事業に携わった後、日英合弁企業を立ち上げ社長CEOに就任。
時流との追いつ追われつを繰り返し、人の欲望ばかりを喚起する高付加価値ブランドビジネスの有り様に苦しむ。
人びとが幸せに携われる事業を模索する中で、コーオウンド・ビジネス・モデルに出会い、研究と調査に没頭。本書執筆に至る。
コーオウンド会社化指導、エシカル・ビジネス、ブランディング経営戦略のコンサルティングを主たる業とするほか、
多摩大学、立教大学大学院、跡見学園女子大学大学院でエシカル・ビジネス、経営戦略、マーケティング戦略に関する授業を持つ。
他に都市型コミュニティ「よいコトnet」を運営。多くのセミナー・講演活動を行っている。
一般社団法人従業員所有事業協会代表理事、株式会社コア・ドライビング・フォース代表取締役、
立教大学大学院客員教授、跡見学園女子大学教授。
1956年東京生まれ。慶大商学部卒。社会デザイン学博士(立教大学大学院21世紀社会デザイン研究科)
趣味は、バンド、たき火、ぼーっとすること。
プロローグ わかちあいの資本主義
1章 コーオウンド・ビジネスとはいったいなにもの?
元祖コーオウンド会社
誕生日に会社を社員にプレゼントしてしまったボブ
しあわせな資本主義
2章 普通の会社がコーオウンド会社に
シャインズ株式会社の物語──社長がいきなり「会社をあげる」
じんわり変わり出した仕事
気運に乗る乗り切れない
ドライブがかかる
内からにじみ出てきた
会社をあげる?事業承継のオプション
会社のあげ方
ウィルキン&サンズ──あえて足踏みで地元とのご縁をつむぐ
ハーガ・テクノロジー──ほんとに会社をあげちゃった社長
会社をもらう
チャイルドベース──直接所有と間接所有のハイブリッド
ディーリー・レントン&アソシエイツ──「フットルーズ」な業界で
シャインズ社はどっち
3章 三種の神器
情報共有
リテラシー、コンビニエンス、シズル
S社──社員を信用しきる
プロフィット・シェア
プロフィット・シェアを設計する
オーナーシップ・カルチャー
オーナーシップ・カルチャーの萌芽
仕事のスタイルが変わる
社長も変わらないと
社長がオーナーシップ・カルチャーを台無しに
4章 会社が変わった
フェルプス・カウンティ・バンク──問題ぶっ飛ばし屋プロジェクト
スコット・フォージ──トップ・ダウンからボトム・アップへの転換
プール・カバース──「ファン」経営
クイック・ソリューションズ──湿ったオーナーシップ・カルチャーを元気に
W・L・ゴア&アソシエーツ──あのゴア・テックスの会社がすごい
タワー・コリエリー──オーナーシップ・カルチャーが強烈に試された社員たち
逆風の中での従業員買収
獅子奮迅の経営
タイロン・オサリバン
何も変わらなかった業務組織とすべてを変えたオーナーシップ・カルチャー
労働組合とストライキ
坑道
採掘の完了
5章 オーナーシップ・カルチャーの味わい
個人の中にジレンマを取り込む
言葉にしきれないオーナーシップ・カルチャー
起業家精神
コーオウンド・ビジネスの優位性調査
6章 ステークホルダーとのご縁を深める、広げる
コーオウンド会社の中ではステークホルダー意識が高まる
佐呂間漁協
ステークホルダー論の生い立ち
私たち生活者の中で育まれるステークホルダー意識
「株主価値極大化」だからこそのステークホルダー意識
7章 日本のコーオウンド・ビジネス
オーナーシップ・カルチャーどころではなかった日本経済の潮流
チャンスを逃した
今こそチャンス
8章 なぜ会社をコーオウンドにするのか?ガット・フィーリング
クリフ・バー&Co
ガット・フィーリングが彼らを突き動かす
エピローグ
普通の会社がコーオウンド化していく典型的なプロセスを見てみよう。以下は架空の会社シャインズ株式会社の物語である。
ただし、その内容は実際のコーオウンド会社の研究資料や、訪問聴取して得たデータに基づいている。
コーオウンド化のプロセスは、株式をオーナー(または市場)から社員に移動するという仕組みに始まり、
事業の強靭化、オーナーシップ・カルチャーというソフトの醸成へという道筋をたどっていく。
この物語で読者にまずコーオウンド・ビジネスの有り様を疑似体験していただいて、その後に物語に出てくる各々の要素について、
解説や具体的事例を通じて詳しく見ていくことにしよう。
シャインズ株式会社の物語──社長がいきなり「会社をあげる」
自分たちが働いているシャインズ社のオーナー社長が、突然「この会社を君たち全員にあげる」と言い出した。いったいどういうことだ。
もともと社長は、英語の「光り輝く」という意味の「shine」と日本語の「社員」のゴロあわせで、「みんなとともに築く『社員』の会社」
という気持ちを込めて社名を「シャインズ」にしたそうだが、その会社を「あげる」という意味がわからない。
が、社長はどんどん自分の持っている株を社員たちに移してくれた。まだ社長の持ち株比率のほうが大きいが、自分たちも会社の部分オーナーになった。
コーオウンド・ビジネスというビジネス・モデルらしい。
オーナーになったので会社の経営情報を把握しておく必要がある、ということで、役員が業績や営業計画を毎月説明してくれるようになった。
正直言って数字が苦手なので、損益計算書や貸借対照表を見せられてもピンとこない。そうしたら説明会とは別に勉強会を開いてくれるようになった。
年度末になった。今年度は好業績だった。自分たちはオーナーだから、ということで全員に公平な額のプロフィット・シェア(利益配分)が
「パートナー・ボーナス」として分配された。今まで受け取っていた賞与とは意味あいが違うんだということを感じ取ることができた。
前は上司の采配で各自の働きが判定されてボーナスが査定されていた。そもそも会社の業績と関係なく、社長のツルの一声でボーナスを総額でどれぐらい払うかが決められていた。業績がいいのにボーナ
スがしょぼい年もあった。理由ははっきりとは聞かされなかった。
しかし今度は違う。その年の利益が出たら、会社の発展のために投資に回したり、翌年の運転資本の増大分に充当したり、
負債の返済にあてたりする資金はプールしておかないといけないが、それ以外は社員全員に公平に分配してくれるという。
自分の、自分たちの働き次第で手にする利益配分がどんどん増えるのだ。がぜんやる気が出てきた。
じんわり変わり出した仕事
第二年度になった。自分たちが部分オーナーになったとはいえ、日々の業務は変わらないし、仲間の顔ぶれも変わらない。
部長や専務もあいかわらずだ。キツネにつままれたような気分だ。
しかし、去年のパートナー・ボーナスはうれしかった。あれは自分たちが稼いだ利益の分け前なのだ。
「もらう」ものでなく「稼いでわかちあう」ものなのだ。そうしてみると、今日の自分の仕事でいくら稼げているのか、
どの時間が利益仕事でどれが裏方仕事なのかを、はっきり意識するようになった。
コピー用紙一枚でも経費として自分たちの稼いだ利益から持って行かれる、ということが「べき論」ではなく本気で気になりだした。
年度のなかばを過ぎてくると、なんだか上司からの指示が減ってきたように感じる。各自が自分の判断で最適を求めて仕事をする感覚が共有され始めてきた。
自分は課長なのだが、以前のように部下に頻繁に報告を求めて指示を出すことが減ってきた。
いや、正直言うと今年の前半は今まで通り報告と指示のセットを繰り返していたのだが、だんだんそぐわないような、変な感じがしてきたし、
そういう報告・指示的な場での部下との会話もかみ合わなくなってきた。でも、これをしないと自分の存在意義がなくなってしまうような気がして、
一時はむしろ報告・指示を強めたりしたのだが、自分も部下もいっそう違和感が増すばかりになってしまった。
部長も同じ気持ちでいるらしく、所在なげな表情だ。そうしているうちに、会議室の中ではなくコーヒー・ブレイクや客先訪問の行き帰りなどで
部下から相談されることが増えてきた。こっちの会話はすごくかみ合った。笑顔と笑い声が増えた。
一年が過ぎた。会社の売上は自慢できるほど上がった。それでいて営業費は下がっていた。特に人件費がめだって減少した。残業が減ったのだ。
パートナー・ボーナスが発表された。去年より多い。会社中がお祭りさわぎになった。
一年を振り返ってみて、正直自分たちがオーナーだという意識が常にあったわけではない。むしろ思い出すことはあまりなかった。
しかし、去年パートナー・ボーナスを経験したおかげで、自分たちの働きが個人の稼ぎに直結するんだという感覚が通奏低音のように自分の中にあった。
みんなもそうだったようだ。その共通感覚がずいぶんと仕事をはかどらせてくれたように思う。「いっしょに稼いでプロフィット・シェアする」
という共通利益がはっきりしているので話が早い。
会議が減った。議論や根回しに費やす時間が減った。日中は仕事に専念したが、仕事が終わればさっさと帰った。
「残業ゼロデー」でなくても夜遅くまで残っている人がまばらになっていった。結果として残業代が減って人件費が減ったのだ。
残業すれば個人的にはその月の給料は増えてうれしいが、プライベートの時間が減る。それに自分の残業で会社の人件費が上がるということは、
みんなでシェアするパートナー・ボーナスが減るということなので、なんだか後ろめたい気がする。
このような感覚が次第にみんなの心の中に浸透していったのだろう。もちろん仕事の負荷がまわりより多い人もいる。
が、見ていると自然とまわりが手伝うようになってきている。なんだか会社が楽しくなってきた。
小売業の世界では「見せ筋」商品と「売れ筋」商品というのがあるそうだ。おしゃれで色も派手だが、
実際に着こなすのは難しそうな洋服がお店のいちばん目立つところにディスプレイされている。それに魅き寄せられてお店に入る。
「見せ筋」商品である。お店の中を見て回って、実際にはオーソドックスで着回しがしやすそうな、値もこなれた商品を買う。これが「売れ筋」商品である。
仕事にも「見せ筋」仕事と「売れ筋」仕事があるように思う。「見せ筋」仕事は目立つし格好よく見えるし、社内での事のはこびを円滑にしてくれる。
しかし、それは会社に利益をもたらすものではない。社内プレゼンの資料作成に膨大な努力と時間を費やす。誰よりも朝早く会社に来ていちばん遅く退社す
る。根回しをする。これらの多くは「見せ筋」仕事なのではないだろうか。
自分が働く会社が「自分たちの会社」になったことで、「見せ筋」仕事の多くが不要なもの、無意味なものになっていったようだ。
気運に乗る 乗り切れない
第三年度になった。
コピー機や照明スイッチのまわりの「節約」張り紙がなくなった。「売上目標必達」とか「ホウレンソウ(報告・連絡・相談)」などの標語もほぼなくなった。
必要がなくなったのだ。
課長としての自分の仕事は、課のその年の全体の方向を示して時どき軌道修正をするという全体的なこと以外は、ほとんど調整に終始するようになった。
自分もプレイイング・マネージャーとして現場に出ることがぐっと増えた。そうしているうちに、部長と自分の関係、自分と部下たちの関係が微妙に変化してきた。
上司と部下というだけでなく「仲間」という感覚が増してきた。
助け合う、応援しあう気運が、課内にも社内全体にも満ちてきた。その分、自分の業務範疇でない、仲間を助ける仕事が増えたので時間はいつもタイトだ。
しかしそれで仕事が滞るわけでも残業が増えるわけでもない。チームで事に当たるというのはこういうものなのかと、その本質が垣間見えるようになった。
「フリー・ライダー」という言葉がある。自分の責任を果たさないで人の尻馬に乗り、楽して得をしようという人を指す。
わが社にもフリー・ライダーが何人かいた。彼らは程度の差こそあれ、総じて頭がよく器用である。自分のところに降ってきた仕事は、
できるだけ手間をかけずに次に回すか他人に振る。空いた時間は忙しそうにして見せるか外出する。
会社がコーオウンド化して、彼らは一気に浮いた。上司の目はごまかせても、同僚の目はかわせない。
フリー・ライダーが仕事を振る相手は彼ら同僚なのである。
自分たちの会社だというオーナーシップ・カルチャーは、助け合い、わかちあいの気持ちも湧き立たせるが、
助け合わない人たちへの監視の目としても機能する。その目は以前の会社のように上司からの目ではなく、まわり中からの三六〇度の目なのだ。これはきつい。
フリー・ライダーたちはいつの間にかひとりふたりと会社を去っていった。
営業でトップをひた走ってきた同期がいる。曽呂田である。愛想もよくパワフルな奴なのだが、その曽呂田が最近元気がない。
悩んでいるようで、営業成績も低迷ぎみだ。
どちらから誘うでもなくいっしょに飲みに行った。彼の悩みの原因は彼自身の仕事のスタイルにあるようだった。
人間としてはとてもいい奴なのだが、仕事の起承転結をすべて自分のコントロール下に置かないと気が済まない。本質的にソロ・プレイヤーなのである。
会社がコーオウンド化してから、会社全体が自然とチーム・プレー的に変化してきた。
その中で曽呂田は浮いてしまった。彼は仕事を下請け的に部下に分担することはできたのだが、任せて委ねるというのが苦手だった。
エリート街道をひた走っていた曽呂田が、突然異国に来たように手も足も出なくなってしまったのだ。杯を重ねるうちに本音もちらほらと吐露し始めた。
個人の働きにかかわらず、公平に利益を分配するパートナー・ボーナスの考え方も彼には引っかかるようだった。
たしかに曽呂田の立場に立ってみれば、これはつらいだろう。
その後、曽呂田とは定期的に飲むようになった。おいそれとワーク・スタイルを変えられない悩みは従来通りだが、
それでも社内に笑顔が増えたことに彼は気づき、こういう雰囲気もまんざらじゃないなと思えるようになってきたようだ。
後日、曽呂田の気持ちを大きく変える事件が起きた。小学生の息子が怪我をしたのだ。
彼の課の連中も隣の課の人たちも「すぐに行け」と、ほとんど無理やり彼を送りだした。彼は三日間会社を休んだ。課に戻ってみると、
自分がやっていたよりむしろ仕事が進んでいた。しかも、かゆいところに手が届くようなきめ細かさで、丁寧な仕事がしてあった。
みんなが曽呂田を手伝うというよりも「自分の仕事」として取り組んでくれたことを汲み取ることができた。このときから曽呂田自身が変わり始めた。彼と
の定期的な飲み会ではともに笑うことが増えてきた。酒がうまい。
第三年度が終わった。経済全体の不透明さもあって、売上、利益とも去年を若干下回ってしまった。パートナー・ボーナスも減った。ちょっとくやしい。
が、「社長が悪い」「会社の経営方針が悪い」などとグチるターゲットが見つからない。よけいにくやしい。
ドライブがかかる
第四年度になった。社長は会社の変化に気をよくしたのか、持ち株をさらに社員たちに譲渡した。社員持ち株比率が三三%を超えた。
これで定款変更や会社の重要な資産売却などの重要な議案について、株主総会で社員株主の賛成なしには可決されない仕組みになった。
去年のパートナー・ボーナスが少なかったくやしさのためか、みんなの意識の中で利益指向が強まった。仕事にドライブがかかった。
お客様を大切にする気運が高まり、訪問回数が増えた。取引先にはついてきてくれるよう協力を求めた。
年度末になった。結果は大幅な増収増益だった。パートナー・ボーナスも空前の額になった。
誰からともなく発案されて、みんなでお金を出しあって大パーティを開いた。
第五年度になった。コーオウンド化第四年度決算の株主総会が開かれ、自分たちも出席した。議事は淡々と進んだが、
それでも凜とした緊張感が経営陣の間にも株主席に座る自分たちの間にもただよっていた。決していやな緊張感ではなく、お互いに姿勢を正すという感覚だ。
これが「ガバナンス」というやつか。
社長は最近手持ちぶさたな様子だ。なんのかんの言っても今まではオーナー社長だったのだ。権限もリスクも社長に集中していた。
すべての意思決定は社長がやっていた。
もちろん社長は今でも最高経営責任者だし、大株主でもある。しかし、最近は大方針の決定以外はどんどん現場が進めていくようになったし、
社員を鼓舞するような号令も必要なくなってきた。
全体的には会社がとてもよい方向に向かっていて喜ばしいのだが、社長自身があらためて会社への向き合い方を変えなければならなくなった。
「王様」から「大統領」に社長自身の役柄を変化させることに戸惑っておられる。
内からにじみ出てきた
その後三年が過ぎた。この会社はコーオウンド会社なんだ、「みんなの会社」なんだというエトスがしっくりと浸透してきた気がする。
自分たちが影響株主である、プロフィット・シェアがなされる、という仕組みに乗っかって、会社の利益にこだわる、
自分の「しごと」をまっとうしながらまわりと助けあう、といった気運が立ち上がってきた。そしてさらに、その気運に乗っかって、
一生懸命、親切、笑顔、傾聴、ポジティブといった気風が醸し出されるようになってきた。気運、気風……
これがオーナーシップ・カルチャーというやつなのだろうか。
会社にいるオフィシャルの時間とプライベートの時間がはっきりと分かれていることにかわりはない。それに、
いくらオーナーシップ・カルチャーが醸成されてきたといっても、社内の利害背反や人の好き嫌いがなくなるわけはない。
それでも会社の中にファミリー的な気分が出てきた。快適だ。この会社に長くいたいと思える。
この頃、お客様や取引先から「あの会社は独特の雰囲気を持っている」「つきあっていて気持ちがいい」「社員が大株主らしい」
という評判が立つようになってきた。外部の方々にそう評価されると、やはりうれしい。
会社はコーオウンド化第三年度の利益低迷をバネにして利益至上主義に振れたのだが、だからと言ってギスギスするのは嫌だ。
取引先にも少し無理を言ってきたが、短期に一円でも安い仕入れを追求するよりも、
品質と供給が安定していることのほうが中期的に有利だという見方に変わってきた。
わが社のお客様の最大満足がわが社にとっても取引先にとっても共通の利害だ、という当たり前に見える価値観があらためて共有されるようになってきた。
そして認識は取引先のさらに川上へとサプライ・チェーンをさかのぼっていく。
一時期、有名な会社が間接的ながらも、途上国の労働搾取型工場からの仕入れ品を自社製品に組み入れていたことがスキャンダルになった。
わが社はそうあってほしくない。そうだ、今度フェア・トレード・プロジェクトの立上げを提案してみよう。
若手の社員グループが、地域貢献のボランティア活動を提案してきた。会社がなんとなくファミリー的、コミュニティ的になってきたせいか、
自分たちがオフィスを構える地域とのかかわりが気になりだしたらしい。ただ、単純に地域のお祭りに参加するとか会社のまわりを掃除する
とかいうのだけでは味気ない。何かワクワクして地域の皆さんとも楽しく交流できる方法はないだろうか。
彼らの呼びかけで、早速ブレイン・ストーミングが開かれた。
会社にとって利益は必須だ。これがなければ会社は存在できない。自分たちも食っていけない。しかし最近では、
会社は利益増大だけのために存在するのではないという考え……というより感覚が強い。「貢献」という言葉がしっくりくるようになってきた。
お客様への貢献、取引先への貢献、自分たち自身と家族への貢献、サプライ・チェーンのおおもとへの、地域への、社会への、環境への……
際限がないが、それでも貢献の広がりというものがあるのだということが意識されるようになってきた。
それにしても、自分たちを含め、貢献をし続けるには、しかもダイナミックにそうし続けていくには、会社の利益は必須だ。利益は血液のようなものだ。
利益自体は手段であり、必要条件なのだ。自分たちが関わる人たちへの貢献が目的だ。貢献の輪が充分に深まり広がることが充分条件だ。
血行のよい会社で目的と充分条件を追い求めるのが気持ちいい。
今、働くことがしあわせだと思う。
会社をあげる? 事業承継のオプション
シャインズ社の「コーオウンド化」の物語、いかがだっただろうか。読者は絵に描いたような話として、やや斜めに構えて読まれたかもしれない。
しかし、ここに描かれているエピソードはすべて、現実に存在するコーオウンド会社のとったアクションや起こった事象に基づいている。
ここからは、物語のパーツを一つひとつ解説していこうと思う。読者には、そこからコーオウンド・ビジネスの本質や押さえるべきポイント、
そして組織の中で湧き起こってくる気運や気風を汲み取っていただければありがたい。