| ダン・リスキン[著]小山重郎[訳] 2,200円+税 四六判上製 240頁 2014年6月刊行 ISBN978-4-8067-1478-1 人の頭に取りついて成長しようとするハエの幼虫。 最長30年もの間、人体の中で生き続ける線虫。 人を刺したあと、5分以内で死に至らしめる毒貝。 母親の胎内で生まれる前の弟妹を食い殺すサメ、 海鳥を食い尽くして絶滅へと突き進む、ゴフ島のネズミ。 自然のダークサイドに魅了された科学者が、その深遠な世界を案内する。 |
ダン・リスキン(Daniel K. Riskin)
1975年カナダで生まれる。1997年にカナダ、アルバータ大学で動物学学士、2000年にカナダ、ヨーク大学で生物学修士、2006年にアメリカ、コーネル大学で動物学博士の学位を取得。その後4 年間の博士研究員を経て、2010年から2011年までアメリカ、ニューヨーク大学で教鞭をとる。
世界各地でコウモリの野外生態研究を行い、多数の研究論文を執筆している。2008年からアメリカとカナダのテレビ自然科学番組に出演、司会を務めている。本書、『母なる自然があなたを殺そうとしている』は初めての著作である。
小山重郎(こやま・じゅうろう)
1933年東京で生まれる。東北大学大学院理学研究科において「コブアシヒメイエバエの群飛に関する生態学的研究」を行い、1972年に理学博士の学位を取得。1961年より秋田県農業試験場、沖縄県農業試験場、農林水産省九州農業試験場、同省四国農業試験場、同省蚕糸・昆虫農業技術研究所を歴任し、アワヨトウ、ニカメイガ、ウリミバエなどの害虫防除研究に従事し1991年に退職。
主な著訳書には『よみがえれ黄クガニー金の島──ミカンコミバエ根絶の記録』(筑摩書房)、『530億匹の闘い──ウリミバエ根絶の歴史』、『昆虫飛翔のメカニズムと進化』、『IPM総論』『昆虫と害虫──害虫防除の歴史と社会』(築地書館)、『害虫はなぜ生まれたのか──農薬以前から有機農業まで』(東海大学出版会)がある。
序章 自然と一つになるには
第1章 何がなんでも生き残れ〈貪欲〉
利己的な振る舞いが正しい
誕生前から始まる生存競争
簡単にできる絶滅のしかた
人は本当に理性的か?
全てはDNAが操っている
第2章 交尾のためなら、なりふり構わず〈情欲〉
ストレスが極限になっても
命だって惜しくない
自然な出産とは?
オス化するメス
強引な交尾
食べられる=いいオス
性はなぜ生まれたか
第3章 寄生者のたくらみ〈怠惰〉
血吸いコウモリとの遭遇
人に寄生するものたち
寄生者たちの出会い
寄生者によるマインドコントロール
寄生者とDNA
第4章 食うか食われるか〈暴食〉
人も光合成ができるか
動物VS植物
光合成をする動物がいた
植物に操られる動物
肉食動物はどれくらい殺すのか
私は肉を食うべきか?
第5章 強くなければ、盗み取れ〈嫉妬〉
無力な科学者
嫉妬に苦しむ親たち
小さいものは大きなものから盗む
盗みに最も長けているものは
動物にも嫉妬はあるか
こそ泥化するオス
第6章 暴力にも負けず〈怒り〉
殺人を犯したシャチ
恐るべき化学兵器
「自然」が私達を殺す
青白コウモリと恋人たち
シュミットによる「痛み指標」
バラエティ豊富なヘビの毒
叩かれても叩かれても生き延びる
第7章 立て、同胞たちよ〈自惚れ〉
動物に「無私」はあるか?
私達はネズミではない
これからの私達と自然
DNAに立ち向かえ
索引
訳者あとがき
この本は、カナダの進化生物学者で、テレビの自然科学番組のパーソナリティでもあるダン・リスキン氏が、「人は自然をどう見たら良いのか」について一般読者むけに紹介したものである。
現代社会では、自然は平和で調和のとれた美しいものだと思われがちであるが、一歩その中に踏み込んでみると、それぞれの生物個体が自分と子孫の生存のために、利己的な血みどろの戦いをしている場であることをこの本は強調している。
著者は少年時代にコウモリの本を読んで興味を持ち、大学院時代にコウモリ研究チームで訪れた中米ベリーズの熱帯雨林で野生生物の世界に魅せられて、この研究を生涯の仕事にしようと考えた。その時、偶然、寄生バエの一種、ヒトヒフバエに寄生されたことから、人間も自然の一部であることを悟った。著者はその後、世界各地でコウモリの研究を続けながら、多くの生物の利己的な行動を知り、この本で紹介している。
私も、少年時代に昆虫採集に熱中して野山を駆け回ったが、あるとき山から家に帰ると首に数ミリの黒い塊がついていて、そのまわりの皮膚が赤く腫れていることに気がついた。その塊はダニの一種で、つまんで強く引っ張ったところ取り除くことができたが、噛み付いていた顎あごはちぎれて1〜2週間も皮膚の中に残っていた。幸い痛みはなく病気になることもなかったが、あとで考えると恐ろしい経験であった。それにもかかわらず、私はこのあとも昆虫に興味を持ちつづけた。このように、自然の素晴らしさと恐ろしさは相伴うものであるという著者の考えに私は共感を持つ。
私はその後、大学では昆虫生態学を学び、農業試験場で害虫防除の研究に従事するようになった。これまでの研究の中で生物の利己的な行動という点から印象深いのは、ウリミバエの交尾行動である。私は、1978年から約5年間、沖縄においてウリミバエというウリ類の侵入害虫の根絶防除のための研究チームに参加した。根絶方法は、このハエを人工的に大量増殖して、放射線照射により不妊化したオスを野外に大量に放して野生のメスと交尾させ、その繁殖能力を奪おうとするものである。
ウリミバエの成虫はウリ類の畑などにいるが、夕方になると近くの木に集まって交尾する。そのとき、オスは1匹ずつ1枚の木の葉を占拠して、他のオスが近づくと追い払う。あたりが暗くなってくると、オスは翅を振動させ、尾端から性フェロモンを放出する。すると、メスがこの匂いに引き寄せられてオスに近づき交尾が成立する。交尾は10時間以上も続き、オス、メスは翌朝まで離れることがない。山岸氏の研究によれば、精子のメスへの移送は4時間程度で終わるが、久場、伊藤氏は、長時間交尾を続けたメスが、しばらくは再び交尾しないことを示し、残りの時間にオスがメスに交尾意欲を失うような付属腺物質を注入したものと推定している。このようにして、オスは自分の子孫が確実に次世代に残るようにしているのである。根絶防除において不妊化したオスは受精能力のない精子をメスに注入することに加えて、再交尾を妨げる物質も注入するので、メスの繁殖を妨げることができるのである。
それでは生物はなぜこのように利己的に戦うのだろうか。それを知るためには、まず地球上に生物がどのようにして生まれたかを振り返ってみなければならない。 旧約聖書の「創世記」によれば、神は、この世界のあらゆる物を6日間で創造された。1日目には昼と夜を、2日目には空と水を、3日目には地と海と草木を、4日目には日と月と星を、そして、5日目に魚、鳥を、6日目には地の獣、家畜、土を這うものを造られた。また、同じ日に神自身にかたどって人を創造し、これらの生き物を支配させることにした。神はすべてのものの創造を終えて7日目には休まれた。このように、地球上の全ての生物の種類と人間はこの創造の日々に生まれたあと、まったく変化せずに現在に至るというのが、キリスト教の自然観である。
これに対して、生物はきわめて簡単な種類から、次第に複雑な種類に変化して現在に至ったという「進化論」を初めて定式化したのが、イギリスの博物学者チャールズ・ダーウィンで、彼の著書『種の起源』は初版が1859年に発刊された。彼の学説の概要は次のとおりである。あらゆる生物の親は沢山の子どもを産むが、そのうち親になるまで育つものはそのごく一部である。そうでなければ、地球上は生物であふれかえってしまうであろう。そこで、生き残るために生物同士は、棲み場所や食物、異性の獲得をめぐって激しく戦わなければならない。これが「生存闘争」である。同じ親から産まれた子どもの間には形態や習性について、わずかな違いがあり、これを「変異」と呼ぶ。そのうち、ある自然・生物環境の下で、少しでも有利な形態・習性を持ったものが生存闘争に打ち勝って次の世代を残していく。これが「自然選択」であり、現在地球上にはさまざまな環境に適応した、さまざまな種類の生物がいて今も進化し続けていることは、自然選択による「適者生存」の結果である。
ダーウィンの進化論は、生物の種類は神の創造以来不変であるというキリスト教の自然観を覆すものであり、発表当時は一般に受け入れられなかった。しかし、さまざまな生物の種類の類縁関係とその地理的分布、地層に残された生物化石など多くの科学的証拠によって裏付けられ、今では一部の人達を除けば疑う余地のない学説となっている。
地球上には、太陽光をエネルギー源として光合成を行う植物、その植物を食う草食者、草食者を食う肉食者、それらの生物の遺体を食う腐食者やバクテリアなどの分解者、さらにこれらの生物に寄生する寄生者もいて、太陽のエネルギーがうけ渡されているが、これらの生物個体は、自分のDNAを次世代に残す為に、互いに激しく戦いながら進化してきたのである。
著者は、それぞれの生物の遺伝子=DNAがその存続を利己的に追求するために、その生物を操っているのだというアイデアにもとづき「生体ロボット」という概念を提案している。この「生体ロボット」の概念を理解するためには、生物の形態・習性が変異を含みながらも親から子に伝わること、すなわち遺伝現象についての理解が必要であろう。
親の形態や習性が子に伝わることを「遺伝」と云うが、遺伝現象自体は古くから認められてきた。しかし、両親の異なる性質が子にどのように伝わるかについては、それが単に混じりあうものと考えられてきた。オーストリアの司祭、グレゴール・ヨハン・メンデルはエンドウマメの異なる品種を交配して、その子が親の性質をどのように受け継ぐかを実験的に確かめ、「メンデルの法則」として1865年に発表した。これは、遺伝をつかさどる何らかの物質があることを示し、のちにそれが「遺伝子」と呼ばれるようになる。その後、遺伝子は全ての生物の体を構成する「細胞」の「核」の中にある「染色体」の上にあり、さらに染色体はDNAという化学物質からなりたっているということが、明らかになった。
DNAは英語でディオキシリボニュークレイックアシドの頭文字をとったもので、アデニン(A)、グアニン(G)、シトシン(C)、チミン(T)という四種類の塩基が多数、螺旋状に並んだ構造をしている。このA、G、C、Tの配列の組み合わせによって、それが特定のアミノ酸の合成をもたらし、このアミノ酸が化合した各種のタンパク質が、生物の形態や習性を決めている。
イギリスの動物行動学者リチャード・ドーキンスは1976年に『利己的な遺伝子』という本を出して、遺伝子=DNAの利己性についてくわしく解説した。彼の解説によると、生命は初め単純な「原子の集まり」であったが、それを含む「細胞」ができ、細胞の集まりの「生物」ができ、それらが、しだいに複雑なものへと進化して行った。その際に、自己複製子として自分と同じ物を作り出す性質を担っていたのがDNAであり、生物はそのDNAの「乗り物」であると考えられる。DNAは絶えず複製されていくが、その複製にはときどき誤りがあり、それが生物の変異を生み出す。変異はまた、両親の異なるDNAが交配によって組み合わされた子どもの間にも生じる。ダーウィンが言うように、生存に有利な変異を持つ生物個体が、自然選択によって生き延び、それによってDNAも存続していく。これを、「DNAは自分が生き残るために、その乗り物である生物個体に利己的に振る舞うように求める」と言い換えてもよいであろう。つまり、生物個体の利己性は実はDNAの利己性のあらわれである。従って、DNAの存続のためには、親が苦労して子を育てたり、ミツバチの群れの働きバチが女王の産む弟妹のために働くというような「利他性」も生まれる。このドーキンスの学説に触発されて、この本の著者は「生体ロボット」という言葉を思いついたのだと私は思う。
著者は、結婚して子どもが生まれた時、自分がその子どもに対して感じる愛情が、自分のDNAに操られた結果であるとすれば、それは真実のものではないのではないかという考えにとらわれる。しかし、その後、人間の愛情と生体ロボットの概念は決して矛盾するものではないという考えに到達した。
人間は他の種の動物とは異なり、その発達した脳によって社会的生活の中から文化を作り出した。これは人から人へと伝えられて行く知識、習慣、言語、モラルなどである。その結果、人間は他の生物にはない先見能力を持つようになった。ドーキンスは、この文化に遺伝子とは異なる「ミーム」という新しい名前をつけて、「この地上で、唯一われわれだけが、利己的な自己複製子たちの専制支配に反逆できるのである」と述べている。
人類が地球上に現れて久しいが、その利己的な力が絶大であったため、地球上の陸地の森林の多くは農業によって失われ、海と大気が工業によって汚染され、たくさんの生物が絶滅に追いやられている。しかし、人類はこうした生物から恩恵を受けることによって生存してきたのである。このまま進んで行けば、人類の生存すら危ぶまれる事態が必ず到来することであろう。著者はこの本の最後で、人間はDNAの求める目先の利益だけにとらわれることなく、人間が作り出した文化の力をもって、この素晴らしい自然を守る行動に立ち上がるべきではないかと書いているが、これには私も全く同感である。
(後略)
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