| 根本正之[著] 2,000円+税 四六判並製 208頁+カラー口絵8頁 2014年2月刊行 ISBN978-4-8067-1472-9 雑草は、多様な種類が互いに関係しあいながら、社会を築いている。 古来、日本人は雑草社会と深くかかわることで、「日本らしい自然」を築き、親しみ、利用してきた。 雑草の生活様式、拡大戦略、再生のメカニズムや雑草社会の仕組みを解き明かし、河川堤防や街中で行われている、 「日本らしい自然」再生プロジェクトを紹介する。 |
根本正之(ねもと・まさゆき)
1946年、東京生まれ。東北大学大学院農学研究科修了。農学博士。専門は植物生態学。
農林水産省農業環境技術研究所、東京農業大学地域環境科学部教授を経て、現在、東京大学大学院農学生命科学研究科・附属生態調和農学機構特任研究員、東京農業大学客員教授。
現代の身近な自然は外来雑草(植物)で満ちあふれている。子どものころ、多摩川の土手で見たような「日本らしい自然」の主役であった在来雑草のよさを、多くの人に知ってほしいという思いから、「日本らしい自然」を再生する活動を各地で実施している。趣味は野生植物の観察と栽培。旅先でも通勤途中でもつい植物に目がいってしまう。
著書に、『日本らしい自然と多様性』『砂漠化ってなんだろう』(ともに岩波ジュニア新書)、『砂漠化する地球の診断』『雑草たちの陣取り合戦』(ともに小峰書店)、『雑草生態学』(編著、朝倉書店)、『環境保全型農業事典』(共編、丸善)などがある。
はじめに
第1章 日本人と雑草
1 「日本らしい自然」とは
二つの自然
雑草社会はどこで成立するか
半自然と日本らしい景色
2 和辻哲郎の風土論と日本的景観
世界の三つの風土と景観
連続性にある日本の景観の特色
3 日本人の雑草観
雑草天国・日本
日本人が雑草からイメージすること
弥生時代以前から中世までの雑草観
江戸時代の食糧増産作戦と雑草
研究の対象にならなかった雑草
大人と子どもの雑草観
4 都市の緑と野草花壇
日本の都市の緑の現状
東京の真ん中につくった野草花壇
世界の趨勢は日本古来の植生
5 雑草の広がり方で変わるイメージ
第2章 人とともに生きのびてきた雑草たち
1 雑草の進化の足どりをたどる
嫌われる存在へと進化した雑草
雑草の起源
500種以上ある日本の雑草
2 雑草社会は人間の土地利用や管理をどう受け止めたか
土地利用によって変わる雑草
除草剤によって変化した雑草社会
戦前と戦後の線路脇の雑草たち
3 雑草たちの生活様式
一年生雑草
二年生雑草
多年生雑草
4 雑草たちの繁殖の生態学
長日植物と短日植物
生き残りのための生殖戦略
5 雑草種子の移動と定着
雑草は途方もない数の種子を生産する
大きな種子と小さな種子のメリット・デメリット
種子散布の四つの仕掛け
二次散布に影響するもの
6 休眠と発芽のメカニズム
取っても取っても雑草が生えてくるのはなぜか
休眠する種子
休眠から覚醒するために
土中で生きつづける種子
第3章 雑草社会の仕組みを探る
1 農耕地で生き残るために
2 非農耕地では再生力をつける
多年生雑草の刈り取り後の再生力
ススキ
チガヤ
シバ
ササ類
マメ科
ヒメジョオン、ヨモギ、エゾノギシギシ
一年生雑草の再生力
刈り取りと再生力の関係
3 踏みつけられても焼かれても再生する
踏みつけと再生力
家畜による攪乱
野焼きと焼畑
4 雑草社会のかたち
雑草社会とは
群落を構成する雑草の種類
イネ科タイプと広葉タイプの優占種
草丈の異なる三つのグループ
5 構成員の陣取り戦術
親分雑草の背丈と生育型で変わる多様性
陣地強化型と陣地拡大型
生育型戦術を数値化する
6 雑草社会の移り変わり
移り変わる親分雑草
一次遷移と二次遷移の構成員の違い
攪乱後の裸地の五つのタイプ
適切な雑草社会の管理とは
第4章 どこから来たのか招かれざる緑の客人
1 様変わりする帰化植物とその周辺
変わる河川敷や道路脇の景色
外来種と帰化植物
帰化植物の勢力拡大の過程
環境雑草
ワイルドフラワーの功罪
2 帰化植物の原産地と生態的特性
新帰化植物の出身地
植物の七つの生存戦略
四つの立地条件と帰化植物
3 何が帰化植物の棲み家を広げるのか
ナガミヒナゲシの越冬拡大戦略
雑種タンポポの登場
セイヨウタンポポは在来タンポポを駆逐しない
在来タンポポと雑種タンポポの関係
戦後急速に陣地を拡大したセイタカアワダチソウ
今や栽培禁止、オオキンケイギク
一筋縄ではいかないオオハンゴンソウ
第5章 雑草で再生する日本らしい自然(実践例)
1 雑草の素性をよく知ってから利用する
手っ取り早く雑草の素性を知る方法
雑草が生えていることの効果
2 雑草を抜いて雑草を植える─汐入方式のすすめ
堤防法面の五つの植生
河川堤防の植生に求められる機能
帰化雑草を抜いた跡地に在来種を植える─汐入小学校の実践
3 東日本大震災の復興で日本らしい自然を再生する
身近で誰でも活動できる場所を求めて
被災堤防で始めた七草プロジェクト
4 街中に雑草公園をつくって生物多様性を保全する
おわりに
引用文献
索引
はじめに
雑草といわれる草、とりわけ夏草は、十分な降雨と温暖な気候に恵まれた日本列島では驚くほど成長が早く、あっという間にあたり一面を覆いつくします。ですから作物の栽培が開始されてこの方、私たちの祖先と雑草との果てしない戦いが続いてきました。そんななか、江戸時代の篤農家といわれる人々は土の中で雑草が芽を出す時期を察知して、まだ姿を現す前に畑の表面を少し耕すことで雑草の幼芽と幼根を切断してしまうという、その生態を熟知していなければとうていなしえない技をもっていました。たゆまぬ努力なしには勝ちえないこの雑草との戦いが、勤勉な日本人の性格形成に一役かっているともいわれています。
現代の日本人と雑草はどのような関係にあるのでしょうか。
農業を生業としている人にとって雑草は、作物の敵と見なされる場合が多いでしょう。作物の出来に影響する雑草は根絶の対象であり、そして雑草取りは重労働だからです。今は、環境に対する影響をできるだけ少なくした除草剤の開発と、その適切な使用によって、雑草取りから大きく解放されましたが、それでも雑草対策が完璧になったわけではありません。でも後述するように、除草剤によってすべての雑草をなくすことは、作物にとって決してよいことばかりではないということもわかってきました。
雑草が日々の生活と大きなかかわりをもたなくなった都会人はどうでしょう。雑草に関心がない人が多いようですが、なかには道路脇や庭などに雑草が生えてくることをかなり気にかけている人もいます。
庭や田畑や空き地や土手に自然に生えてくる草を、私たちは「雑草」と呼んでいます。実にさまざまな草が生えてくるので、まとめて雑草というわけです。ところが「雑」という文字には、いろいろなものがひとところに集まって入り混じるという意味のほか、「乱雑」「雑然」などのようにごたごたしていてきちんと整っていないという意味でも使うので、雑草には疎ましい草というイメージがつきまとうようです。
ですが、日本人はすべての雑草を目のかたきにしていたわけではありません。例えば春の道端を緑に染める七草のナズナ、ハハコグサ(ごぎょう)、ハコベ(はこべら)、土手の斜面で芽を出すヨモギやツクシ(スギナの胞子茎)、そんな片隅で可憐な花を咲かせるスミレ、秋のイヌタデの赤い花、ススキの風でなびく穂などはひと昔前はこよなく愛されていた雑草で、利用していたものも多く、季節を感じたり、私が考える「日本らしい自然」の風景に欠くことのできないものだと考えています。
今は嫌われることの多い雑草に焦点を当て、古来日本人が身近に感じてきた日本らしい自然を再生したい、多くの人にその美しさを再発見してほしい、というのが本書を著した動機です。そのために、まずは雑草という生き物の生きざまを観察することが何より大切になってきます。
雑草の生きざまを知るためには少し工夫が必要です。
まずは関心のある雑草の押し葉(葉)をつくって姿・形をよく観察し、正しい名前を覚えることが大切です。雑草観察に役立つ図鑑があるとはいえ、一人で正しい名前を探しあてるまでにはかなりの経験と根気がいります。そこで初心者は、自然観察会などで雑草の名前をよく知っている人から何度もそのいわれや人間とのかかわりを聞き、自分でも五感を使って接触し、そのイメージを少しずつ自分のものにしていくのが現実的でしょう。
雑草の種類を区別できるようになると、野外で雑草を見るのが楽しくなってきます。しかし、それだけでは雑草を知りつくしたことにはなりません。歩道や石垣の小さな隙間に生えてくる雑草を除けば、たった1種類だけが生えていることは稀で、いろいろな種類の雑草が互いに関係しながら生活しているからです。そして、雑草たちは、人間による草刈りや踏みつけ、除草剤の散布などを忠実に反映した社会を築き上げていることがわかります。いろいろな種類の雑草が陣取り合戦の結果、それぞれのふさわしい場所に陣地を築き上げ、雑草の社会ができています(雑草社会は、英語では weed community、ドイツ語では Unkraut Gesellchaft で、いずれも「社会」ですが、日本の生態学では「雑草群落」というのが一般的です)。
人が立ち入る前の日本アルプスのお花畑や尾瀬の湿原など原生自然に生えている植物たちの社会とは異なり、雑草の社会は大なり小なり人の手が加わる、あるいは加わったことのある場所に形成されます。尾瀬ヶ原には毎年多くの登山客が訪れるようになったので、山小屋や休憩地の周辺は登山客でにぎわいます。そのため、それまで見られなかったオオバコなど踏みつけに強い雑草の社会が出現しました。また、縄文時代の遺跡からツユクサ、タデ、アカザなどの種子が見つかることがあり、縄文時代の集落の周辺にこのような雑草が生えていたと考えられています。
このように、雑草社会と日本人は稲作が始まる以前から切っても切れない関係にありましたが、現代の日本人は厄介者と感じることが多いようです。とくに近年は、田畑の雑草社会より、都市の緑地や道路の法面、河川堤防など非農耕地といわれる場所の雑草社会が問題視されることが多いようです。
その原因の一つは、日本列島の大改造の過程で出現した広大な裸地や空き地に、セイタカアワダチソウ、ブタクサ、最近はオオブタクサやアレチウリなど、昔の日本にはなかった多くの外来雑草が繁茂したこと。二つめは、クズ(家畜の飼草、食用、繊維、薬)、ススキ(屋根ふき材、飼草)、チガヤ(屋根ふき材、飼草、薬)、ヨモギ(食用、薬)など、日常生活に欠くことのできなかった在来雑草が、輸入飼料や繊維などの合成有機化合物や工業製品に置き換わられ、利用されなくなったことにあるのではないでしょうか。これらの在来雑草は、刈り取って利用しなくなると大繁茂して、見苦しい景観をつくることがあります。
雑草社会を私たちの敵にまわすか味方につけるかは、雑草社会やその構成員である個々の植物種と私たちとのつき合い方によって決まってきます。
私は長い間、世界の沙漠化問題を研究していたので、大草原の広がる半乾燥地域で、高度成長時代の列島改造のようなことをすれば、たちまちそこが緑を欠く沙漠化土地になることを何度も経験してきました。幸い温暖で湿潤なモンスーン地帯の日本では、沙漠化土地になるのではなく、緑豊かな雑草の社会が形成されます。
そして、つき合い方次第で、そこは万葉歌人が愛でたカワラナデシコ、オミナエシ、キキョウが咲く、多くの人がしばし忘れていた日本らしい魅力ある雑草社会になるのです。
本書では雑草と人間を対立的にとらえるのではなく、雑草と人間の双方の立場にたって、両者の調和と融合をはかるにはどうしたらよいかを考えたいと思います。雑草社会の仕組みを正しく理解したうえで、雑草と共存するという姿勢をもてば、都会のわずかな空き地でも日本らしい自然が出現するし、自分たちの手で日本らしい自然を復元することができる─そんな楽しいことはないのではないでしょうか。
最近、森の国といわれる日本にも、戦前まで私たちが予想していた以上の草原が広がっていたことや、そこでの祖先たちと草とのかかわり合いなど日本の草原や草についての解説書や、雑草とどうつき合っていけばいいのかを解説した実用書が相次いで出版されました。
本書では、雑草という草に焦点を当てつつ雑草社会の仕組みを正しく理解し、日本らしい自然とは何か、また身近なところから日本らしい自然を再生するにはどうしたらよいかを考えてみたいと思います。
第1章では日本人が親しんできた自然、私が考える「日本らしい自然」について考察し、雑草について知るために、第2章では人間と雑草のかかわり、第3章では雑草社会の仕組みについて、最新の知見をもとに解説します。第4章は外来雑草の生態と問題点について述べ、第5章では、日本らしい自然を再生するために始動しているプロジェクト─隅田川のスーパー堤防で小学5年生が取り組んでいるノアザミやカワラナデシコなど在来植物の植えつけによる昔懐かしい雑草社会の再生など、具体的な事例についていくつか紹介します。
鮮やかに咲き乱れる園芸種は確かに人目をひいて美しい。でも、目立たない雑草やそれらがつくる風景にも、古来日本人が愛でてきた美しさがあります。その美しさを再発見してほしい、身近に触れられる場所が増えてほしいと切実に願っています。本書がその一助になれば幸いです。