クリスティーン・バイル(Christine Byl)
アメリカ中西部、五大湖地方の出身。大学を卒業後、モンタナ州のグレイシャー国立公園で整備の仕事を始める。
その後、アラスカ州立大学アンカレッジ校でフィクション・ライティングを学び、MFA(芸術系修士号)を取得。
その間、また卒業後もアラスカ沿岸部コードバとデナリ国立公園で公園整備の仕事を続ける。
現在はアラスカ州、ヒーリーの町にほど近い、デナリ国立公園の北のツンドラ地帯に在住。
数エーカーの土地に建てたユルト(移動式住居)で夫とそり犬とともに暮らしている。
本書は著者の長編処女作。2013年春に発売されると、米国アマゾン書店の「今月のベストブックス」(2013年4月)や、パブリッシャーズウィークリー、クリスチャンサイエンスモニターなどで高い評価をえている。
短編やエッセイは、『Glimmer Train Stories』『Crazyhorse』『The Sun』その他の雑誌・新聞・短編集に掲載されている。
夫と共に、トレイルの設計とデザイン、建造、およびコンサルティングをアラスカ各地で行う会社を経営している。
「What's in Your Backpack? Christine Byl on what a traildog carries.」
三木直子(みき・なおこ)
東京生まれ。国際基督教大学教養学部語学科卒業。
外資系広告代理店の営業およびテレビコマーシャル・プロデューサーを経て、1997年に独立。海外のアーティストと日本の企業を結ぶコーディネーターとして活躍するかたわら、テレビ番組の企画、クリエイターのためのワークショップやスピリチュアル・ワークショップなどを手がける。
訳書に『[魂からの癒し] チャクラ・ヒーリング』(徳間書店)、『マリファナはなぜ非合法なのか?』『コケの自然誌』『ミクロの森 1uの原生林が語る生命・進化・地球』(以上 築地書館)、『アンダーグラウンド』(春秋社)他多数。
はじめに
斧
1 川―野性を求めて ノースフォーク
プライバー
2 高山地帯―何もかも、教わったのは森林限界の上 スペリー
チェーンソー
3 森―森が我が家になるまで ミドルフォーク
ボート
4 海岸―私が海と出会ったところ コードバ
スキッドステアローダー
5 国立公園―どこまで北上できるか デナリ
シャベル
6 我が家―なぜ残ったか デナリ
おわりに
付録 数字で見るトレイルドッグ生活
訳者あとがき
フリーダの店の前のポーチで、私たちは手すりに脚を投げ出した恰好で座っている。通りがかりの人がこの下見板張りのバーの方を見れば、私たちが見えるはずだ──汚れたズボンをはき、ブーツの底に泥がこびりついた、男が4人と女が1人。眉毛は真っ黒。ここはモンタナ州、ウェスト・グレイシャーのフリーダの店の正面ポーチ、今日はヒッチの最終日で、お待ちかねのビールの時間なのだ。シリアルの食べ方がくちゃくちゃとうるさいヤツのことも、いつだってツールボックスをぐちゃぐちゃにしっぱなしの誰かさんのことも、お互い全部を水に流して。8日目、この店のポーチでは、班長だろうが作業員だろうが、歩くのが速かろうが遅かろうが、私たちはただの仲間だ。冗談を言い合い、お疲れさま、と乾杯し、この1週間にあったことを思い出してはそれを話のタネに加えていく─信じらんないよね、あのパッカー、オールクリークの浅瀬に積み荷落とすなんてさあ? お前が伐ったあの木、太さどれぐらいあったと思う? 一番美味い夕飯はどれだったかな。天気が最低だったのは? お前ブーツ乾いた? そっちは?
アウトドア用サンダルを履き、サンバイザーを被った女性が立ち止まって私たちをじっと見る。「トレイル整備隊の人たち?」「おうよ」とジャスティンが頷く。彼女のボーイフレンドは東側の整備隊で働いているのだという。彼女自身はラフティングのガイドなのだが、来年は整備隊の職に申し込むかも、と。
「どうやったらこの人たちについてけるわけ?」と彼女が私に訊く。女同士、こっそりと。
私が答える前にジャスティンが言う。「ついてけねえよ。どこ行くんでも俺らが担いでくの」。反応を待ってちょっと間を取った後、彼はにんまりする。「うそ、うそ。この人にはマジで降参」。私は何も言わず肩をすくめる。
「すごーい」とラフティングのガイドが言う。「運がいいのね」
その通り。私は運がいい。自分の仕事が自分の限界を真っ向から思い知らせてくれるのは幸運なことだし、テントで眠り、草むらでおしっこしてお給料がもらえるのも運がいい。この人たちの一員でもあり、同時に中の一人にとっては恋人だし、私を班長と呼ぶ人も、ダメな妹だと思う人がいるのも運がいい。もじゃもじゃの眉毛や、膝がちょっとこわばっているのや、脈拍がゆっくりなところが気に入っているというのも幸運だ。自分がどうやって、自分のいるべきところに収まったのかなんて、わかっている人はいるだろうか? 今の生活にたまたま転がり込んで、そこにずっといられることになった私は幸運なのだ。
プラスチックのカップに2センチばかり残った生温かいミラー・ジェニュイン・ドラフトを飲み干すと、私たちはよっこらしょと階段を下りる。このうちの何人かとは休みの日に一緒に山登りをすることになっている。他の人たちは家族の元へ、街なかの家へと帰っていき、次のヒッチのために納屋に集まるまでは職場の誰とも顔を合わせない。汚い手の平をパチンと打ち合わせ、指と指を絡ませ、握ったゲンコツをコツンと合わせるいつもの別れの挨拶。ほんじゃあな、お前ら来週な、あばよ。
アメリカ合衆国国立公園局は1916年にウッドロー・ウィルソンによって正式に創設され、1983年には作家ウォーレス・ステグナーが「我々が思いついた最高のアイデア」と呼んでいる。「まったくもってアメリカ的、絶対的に民主的な国立公園は、我々の最高の部分を映し出している」。現在、公園局はアメリカ連邦政府が考え出したものの中で最も広く模倣されていて、アメリカの国立公園局に相当する、公有地保護のための機関を持つ国は100を超える。アメリカの公園局は、393カ所にわたる8400万エーカー〔約34万平方キロ〕の土地を管理している。毎年、アメリカ人、スイス人、韓国人をはじめ、2億8500万人を超える人びとが、娯楽を、学習体験を、自然を、あるいは休息を求めて訪れるところだ。フィラデルフィアの自由の鐘国立歴史公園からフロリダのエバーグレーズ国立公園、それに国立公園の中で最大のアラスカ州ランゲルセントエリアス国立公園(バーモント州の2倍近い規模である)まで、国立公園が重点を置くものはさまざまだが、1916年に制定された国立公園局設置法に次のように書かれているその意図においては一致している─つまり、
「景観と、公園内にある自然及び歴史的建造物、また野生生物を保護すると同時に、将来の世代がそれらを享受できるよう、それらを損なうことのない方法と手段でそれらを楽しめるようにする」ということだ。
私が最初に国立公園に行ったのは家族との休暇旅行で、車での長時間の移動と車酔いが付きものだった。22歳の時、私は夏休みの気晴らしに国立公園局の仕事をした。それから何年も経って、ある国立公園が「自分の居場所」になった。自分の居場所っていうのはいつだって、働くことによってできるものだ。雇われて仕事するという意味でも、努力をする、という意味でも。そしてそのそれぞれに、必要なツールがある。
私が「トレイルドッグ〔山歩きの伴をするトレイル犬から来た、国立公園整備員のニックネーム〕」になって16年経つ。つまり、山の中で、トレイル〔公園内の、人が通る登山道や遊歩道〕を維持管理し、補修し、造り、設計する作業員だ。国立公園局の運営を支えるのは、「季節雇用者」と呼ばれる私たちで、私たちはあらゆる種類の手作業をする。国立公園局の夏のイメージキャラクター、平たい帽子を被ってキャンプファイアーを前にお話をする森林警備隊員のことは誰だって見たことがあるが、その陰で、整備工が機器類を動かし、整備管理員が休憩所のトイレの汚物を空にしているのを目にする人はほとんどいない。大工も消防士もいる。道路整備員は交通標識のストライプのペンキを塗り直したり排水トンネルに張った氷を蒸気で解かしたりしている。それにトレイルドッグだ。
私たちは目には見えないその他大勢かもしれないが、私たちの仕事ははっきり目に見える。春先に最初にトレイルを歩いて、倒れて道を塞いでいる木を取り除くのが私たちだ。山道を登る石の階段を造ったり、駐車場と案内所を結ぶ砂利道を造ったりもする。排水溝から石を取り除いたり、ぬかるみを土で埋めたりもするし、橋を架けたり、標識を立てたり、迂回路をならしたり、雪の吹き溜まりを吹き飛ばしたりするのも私たちだ。どんな仕事のときも、そこまでは歩いて行く。
単純な仕事に聞こえるかもしれないが、実際に色んな意味でその通りだ。いったん道具の使い方を覚え、観察力を養い、自分の限界と強みを認識したならば、トレイル整備の仕事はぶっちゃけ単純なのだ。溝を掘る。倒れた木を動かす。岩を転がす。斧を振るう。だけど、どんな仕事だってそうであるように、この仕事も自分が望むだけ複雑にもなる。自分の手にぴったりするように道具の持ち手をやすりで削る方法。音を頼りにキャブレターを整備する方法。この主桁はどれくらいの幅の川に架けられるか。さらに、「何故」なのか、がわかるようになる─トレイルの勾配と、そのトレイルが横切る斜面の角度の関係。伐ってから時間が経った木の方が伐ったばかりの木より良いのは何故なのか。好奇心の強い人なら、どんな作業からも何かしら新しいことが学べる。
肉体労働をするようになる理由は、肉体労働を必要とする仕事と同じくらい色々だ。たとえばそういう家系に生まれる人がいる─父親が材木置き場を経営しているとか、代々、労働組合の組合員であるとか。それが自分に合っているから肉体労働を選ぶ人もいる─手先が器用で、ものの仕組みがわかるのだ。必要性からそうする場合もある─故国では医師だった移民が時給で雇われたりもするし、不景気になれば人は見つかる仕事なら何でも引き受ける。人を雇ってやってもらうお金がないから自分でやることになる場合も多い。たまたまタイミング良くそういう機会があって仕事を覚えることもある。とにかく誰かがやらなくちゃならない仕事があるという場合もある。いずれにせよ、いつだって仕事はあるし、いつだって必ず、それをせざるを得ない人、出来る人、したがる人がいるものなのだ。
私は肉体労働者の家庭に生まれたのではなく、それを親から受け継いだのでも期待されたのでもない。昔っからある、あまりにも大げさな二分法のおかげで、私は肉体労働からは遠ざけられ、肉体労働をしなくて済むようにと高等教育に進まされた。これは多くの人にはお馴染みの二項対立の構図で、私たちは現実を2つに分けて考える生き方に慣れっこになっている─肉体よりも精神、今か後か、男性対女性、遊びより仕事、文明対自然、ブルーカラーとホワイトカラー。私の場合、家族は(教師から職人まで)色々だったし、80年代のフェミニズムを背景に育ったにもかかわらず、よくある、誰も口にしない価値基準を受け継いだ。木工や自動車修理の授業を選択するのは男の子。頭のいい子は大学へ。将来のことを考えなさい! 頭脳を研ぎ澄ますこと。スポーツは宿題の後。
人は誰でもこういう思い込みを経験するものだし、思い込みは他にもある。自分の選択のうち、どんなに多くがこうした思い込みに縛られたものであるか、気づいたらびっくりするかもしれない。仕事の日もエクササイズはやらなくちゃ。自然というのは日常生活から逃れるために行くところ。女性が歓迎される職場もあるけれど、でも結局はおまけ─こういう線引きは、初めはしごく論理的に思えるかもしれないけれど、そのうち私たちは考え始める。もし逆のものを選んだとしたら、私はどういう人間なんだろう? いや、もっと革新的に、それが実は対立する二項ではないと仮定したら? 仕事が喜びであってはいけないの? 文化というのは、自然から切り取られたものではなく、自然の上にあるものであってはだめ? 手仕事が精神的な喜びをもたらすこともあるのでは? 男性社会に女性がいることで、それが「すべての人」のための社会になるとしたら? 肉体労働よりも教育を、という、私が持っていた二項対立の問題点はまた、あらゆる二項対立が持っている問題でもあった。つまりそれはまったくの見当違いだったのだ。
現実は2つのものが対立しているのではなくて、もっと交ざり合い、もっと興味深いものだった。私には学ぶことが山ほどあった。
私が大学から森に移って16年経った。私の生活や仕事のディテールはもはや目新しいことではない。私は公園整備の仕事を崇拝しているわけでもないし、かと言ってそれは本当にやりたいことが見つかるまでの回り道でもない。変化に満ちた十数年間、退屈だったときも刺激的だったときもあったけれど、意外にもトレイル整備の仕事はずっと変わらずそこにあった─私の心の指針を本当の気持ちに惹き寄せる磁石のように。ある意味では、それが私に生き方を教えてくれたのだ。春が来ると野外の作業が私を呼び、私は渡っていく─北へ、外へ、「トレイル」へ(公園整備の仕事を内輪ではそう呼ぶ)。それは今では私があまりにも良く知っている世界で、こうやって書きながらその味や匂いを感じることも出来るくらいだ─チェーンソーのオイルやトウヒの樹液、排気ガスや汗の匂いを。
ヘンリー・デイヴィッド・ソローが「森へ行ったのは思慮深く生き、人生の真髄を吸収するためだ」と書いたのは有名だ。そして、アメリカのネイチャー・ライティングの父のこの一言が、それ以来ずっと、ネイチャー・ライティングというジャンルに、ある根本的な問いを委ねることになったのだ─本物の生き方と自然界にはどんなつながりがあるのだろうか? 私が初めてソローを読んだのは高校の英語の授業だった。私はミシガン州の都会に住んでいて、自給自足のための作業などしたことがなかった。子どもの頃おてんばで泥んこになって遊んだことが、野性体験に近いと言えば近かったけれど、大学進学の準備のためのギリシャ神話だのアイビーリーグのパンフレットだのと引き換えに、泥遊びはとっくにやめてしまっていた。豆の種を植えたこともなければ薪を割ったこともなく、家の庭の小鳥たちの名前も知らなかった。それなのに、一ページ目から私はソローが大好きになったのだ。ソローの中心には、なにかしっくりくるものがあった─住んでいるところとそこでの行動につながった暮らし方。私はソローの、謙虚だけれど自分に自信があるところが好きだった。
リスにメロメロなところも。
ソローには惹かれたけれど、私が森に行ったのはそれから何年も経ってからだし、しかも行ったのはたまたまのことだった。大学院で哲学を勉強するつもりだった大学2年の頃に、私はいつか木を伐って運ぶ仕事でお給料をもらい、それをみすぼらしいバーのポーチで飲む酒代にするだろう、と誰かに言われたら、笑い飛ばしただろう。私は自分のことを思索的なタイプだと思っていた。マインドという筋肉を鍛えていたのだし、プラトンやアウグスティヌスによれば、そこに私のお上品な魂が宿っていたのだ。肉体には何が出来るのか、私はさして考えたことがなかった。
でも大学を終える頃、私は、そういうこともあるかもしれないとソクラテスがほのめかした以上に、大学にうんざりしていた。卒業後、無一文の私はこれまでとは違う生活を求めて西を目指し、モンタナ州のミゾーラという町に辿り着いた。小説家も肉体労働者も大学教授も木こりも同じバーで酒を飲む、それどころかそれが同じ人物であることすらある町だ。私はそこで収入を得なければならなかったので、季節雇用の仕事をしている新しい友人にせがんで、お金欲しさに森に出かけた。たしかに、それまでは遠くから惚れ惚れと眺めていたロッキー山脈のことをもっとよく知りたかったし、随分あれこれ思い巡らしていた手つかずの自然というものを、直に経験したかった、というのはある。でも一番大きかったのは、生活費を稼ぐということで、何か新しいことを身につけながらそれをしたいと思ったのだ。ボーイフレンドのゲイブと私は国立公園局の整備員として働き始めた。今にして思えば、土が私を呼び戻そうとしていたのだ。
私の履歴書を見ても、私がハンマーの握り方を知っているかどうかさえ怪しかったから、雇われたのはまったくの幸運だった。初めて雇われたその年、私は周りの人全員─この仕事に人生を捧げている人やら、新入りやら、ラバに荷物を担がせるのが仕事の怒りっぽいパッカーやら、男勝りの、でも私を公然の笑いものにはしないだけの優しさがある女性陣やら─をじっくり観察し、仕事するのに必要なことを吸収した。私の労働はお金になった。生まれて初めて、理屈ではなくてはっきりと具体的な労働でお給料をもらったのだ。私の中のおてんば娘が目を覚ましつつあった。目新しさとは別に、私は自分がトレイル整備の仕事が好きで、トレイル整備の仕事をしている人たちのことも好きだということを発見した。それから時間とともに専門知識が増すにつれ、私が磨いている技術は仕事の場以外でも役に立つことがわかった─たとえば橋の土台に使う丸太にV字型の切り込みを入れる技術はログキャビンを建てるのに使えるし、トレイルを切り拓くのと同じようにすれば、木を伐り、枝を落とし、鋸で挽いて薪を作ることが出来る。
野外で長時間働いて鍛えた持久力、強さ、自信があれば、どんな荒れた土地でも立派に生活していける。私が学んでいたのは、ずっと昔から働く人たちの役に立ってきた技術で、そういう意味で私は、専門的技能だけではなくて歴史を学んでいたのだ。
不可解なことがある。私たちの文化は、自然が持つリズムや限界からほとんど完全に切り離されているのに、同時に「自然なもの」に取り憑かれているのだ。そこには深遠で重大な思考が含まれる─私たちは何を食べればいいのか? その食べ物はどこから来るべきか? さまざまな製品は何でできているか? 誰がそれを作っているのか? 私たちが取る行動はこの惑星にどんな影響を与えるか? この惑星は私たちの行動にどんな影響を及ぼすべきなのか? かと思えば自然を売り物にしているだけのこともある─ファッション雑誌では、ひょろっとしたモデルが籐でできたピクニックバスケットを持って草原をブラブラする。インテリアデザイナーが「田舎風スタイル」を完璧にコーディネートしたログハウスはステータスシンボルだし、政治基金集めには繋がれた「母グマ」が駆り出される。
それでも多くの人は直観的に、自然と結びついた生活というのは商業とは無縁だし、ましてやイメージなんかではないということがわかっている。「土に戻りたい」と私たちが言うのは真剣な気持ちなのだ。でも自分なりの「ウォールデン」〔ソローの代表作『森の生活』は、マサチューセッツ州ウォールデン湖畔での生活を記録したもの〕の入り口に辿り着くと、私たちは「さて、何をしたらいいの?」と自問しなくてはならない。「森に行く」のが大変なのはそこからなのだ。なぜなら、「何をするか」というのは、21世紀に生きるアメリカ人が得意とすること─たとえばどのカタログの何を買うとか、どんなメッセージを組み立てて、どうやったらそれを多くの人に伝えられるかとか─ではないからだ。「何をするか」というのは、作業であり、道具であり、それを一つにする経験─心が開いていること、と言ってもいい─なのだ。本当のことを言えば、大地に触れることなくその土地で生きられる人などいない。そして大地に触れるには、昔っからある、地味で、ときに巧妙でときに退屈な、手を汚す「労働」が必要なのだ。
そこで私はソローの問題に立ち戻る。「思慮深く生き」る、本物の生活をする、というのは具体的にはどういうことなのか? 都会でフリーのライターをしている人から辺鄙な土地で農耕生活をしている人まで、何人かの知人にこの質問をしたことがある。「身の丈に合った暮らしをし、目的意識を持つこと」「地に足を着けて、生活に必要なものを自分で調達すること」「深い意味で幸福であること。満足、に近い」「進歩するばかりがすべてではない、自然が持っている限界の中で生きること」「本当に大事なことのやりかたを知っていること」「何かがちょっとまだ手つかずで、何から何まで解決はしていない状態」「人間はだんだんそういうふうになってる。周りの環境が大切」─そんな答えが返ってきた。
私自身の直観とも重なるこうした定義によれば、本物の暮らしというのは、私たちが頭で考えること(「都会とはサヨナラしたの」)や、何を買うか(玄関に置くパイン材のベンチや完璧な作業パンツ)で出来上がるものではない。私たちの主張(「地元で買い物しよう」とか「この瞬間に生きよう」とか)や、私たちが見つけるもの(鳥の羽や貝殻)でできているのでもない。本物の暮らしというのは、少なくともその一部は、ごく当たり前の動詞の積み重ねだ─目覚める、植える、掘る、直す、歩く、持ち上げる、聞く、乾燥させる、書き記す、焼く、切り刻む、貯蔵する、積み上げる、収穫する、与える、伸ばす、測る、洗う、手伝う、運ぶ、眠る。そして動詞には名詞がついてくる─それをするために必要なものだ。シャベル、針、バスケット、斧、種、鉛筆、ブーツ、マッチ、ハンドル、バケツ、ナイフ、耳、鋸、テープ、ボウル、手押し車、ボート、水準器、土、楔、手。
このリストをよく読めば、ある土地に根ざして暮らすには、5万坪の土地と祖先から引き継いだ山羊の群れも必要なければ、カヤックと、4カ月間誰とも接触のない生活をする必要もないことがすぐにわかる。自然が投げかける問いはいつだって変わらず、さり気ない。そしてそれはどこででも起きる問いだ─日が昇るのは何時? 日没は? 春になるとやって来て秋になるといなくなるのはどの野鳥? 7月の雨量はどれくらい? 11月は? どの野草が食べられる? この時期にしては寒すぎない? トマトは窓辺でも育つ? 池の氷は歩いて渡れるくらい厚く張っただろうか、それとも迂回するべき? こういう問いや、やらなくてはならない仕事や、ああしようこうしようと際限なく課題を解決していくことの中から、いつのまにかこっそりと本物の暮らしが出来上がるのだ。そして多分、気がつかないうちにそうなるしかないのだと思う。なぜなら本当に自然なあり方というのは、そうしようと努めることではなくてそう「ある」ことから生まれるのだから。私がトレイル整備の仕事を始めて最初の数カ月の様子を見たらいい─私は「本物のトレイルドッグ」になりたくてたまらず、
一生懸命そうなろうとしたけれど、でも基本的には、自分はその「ふり」をしているだけだと感じていた。でも実際に本物のトレイルドッグになってみると、もうそんなことは考えなくなった。
もちろん、単純な肉体労働をするだけで充足した生き方が得られるなんて言うのは、肉体労働なんかしたことがない人だけだ。一日中、重労働と、まったく頭を使わない作業しかしないでいれば、そこにまた違った種類の意義は生まれるけれど、別の意味で死んだようになる。私たちは、頭を使って自分の行動を整理し、自分がする選択のための足場を作ることが必要なのだ─それを実践するには体が必要だとしても。私の経験から言えば、だからこそ奥の深い教育というのは、頭と手の両方に対するものなのだ。この20年、私は本から学んだし人から学んだこともたくさんある。そしてそれ以外のことは道具から学んだ。これは別に情緒的にものを言っているわけでも、何かを説明しようとして言っているわけでもなくて、単に、「触れること」と「働くこと」は私が学ばなければならなかったことの一部だった、ということだ。
フリーダの店のポーチでは、仲間たちがやれやれと首を振っている。「お前しゃべりすぎだってんだよ」とマックスなら言うかもしれない。「もう一本飲めよ」。私はマックスに向かって中指を突き立てる〔英語圏で人を侮辱するのに使われる仕草〕。ソクラテスの言葉が口から出かかる─「吟味されざる生に、生きる価値なし」なんだからね、アンタ。でもマックスは正しいのだ。吟味しすぎの生にも生きる価値はないし、どんな道にだって穴はあいている。自然相手の暮らしは最低なこともある。ずぶ濡れになったり、足が痛かったり。あまりにも重たい荷物を担がなきゃいけないことも、あまりにも遠くまで行かなきゃならないこともある。ヘラジカは庭の作物を食べちゃうし、一カ月間、毎日雨ばっかりのこともある。直角のはずの角が直角でない。ヘトヘトになってキレる。自分で解決しない限り誰も助けてくれない。
本物の暮らしというのはまるでユートピアであるかのように言われることが多いけれど、はっきり言っておきたいと思う。私は田舎暮らしを称賛した田園詩なんか信じないし、「自然」に近いところにいるからって持ち上げられ、神聖化された人たちのことも信じない。どんな生き方もみなそうだけど、森の中の暮らしには魅力もあれば重荷も伴う。田舎暮らし、いやまったくの手つかずの自然の中で暮らしていたとしても、そのこと自体が罪の償いになるわけでもない。土は私たちを地獄に落としはしないけど、天国に連れて行ってくれるわけでもない。どこの森で暮らすことになっても、そこで暮らす私たちは人間であって、不安や嫉妬に駆られるのは崖錐の上だろうがブロードウェイだろうが同じなのだ。そうは言いつつ、私には偏見がある。なぜなら森での暮らしは私を変えたからだ。森での仕事は私の進む道を変え、日々の暮らしを変え、私の手の形を変えた。
ポーチに座っている私の友達を見るといい。マックスとジャスティンとゲイブが手を差し出してしげしげと観察させてくれたなら(くれないと思うけど)、労働者の印があるだろう─関節は荒れて節くれだっているし、親指の爪は紫色、手首は腱が張って、二の腕は汚いTシャツの袖のあたりまで日に焼けている。「人間が入った痕跡を残さない」という野生保護の原則は一般的に普及しているけれど、その土地を通ったことが痕跡を残さないはずはない。なぜなら人間がそこに暮らすときにその土地にその印を残すのと同様に、その土地もまた私たちに印をつけるからだ。ある土地、たとえばそれは特定の空や景色だったり、あるタイプの地面の上を歩くときの感触だったり、季節の展開だったりするのだが、それが自分の存在を主張し、私たちはそれに親しみを感じるようになる。知る、と言ってもいい。そして労働は必ず体にその跡を残す。私の体は筋肉が少なくて手足が細く、折ったことのある指は2本曲がって元に戻らず、足はタコだらけだけれど歩くのは速い。手首は両方とも手根管症候群があるし、ヘルニアの手術を2度受けたことがあるし、関節は実際の年齢より歳とってるみたいに感じる。
労働はまた、精神にもその跡を残す。もともと私にはなかった洞察力や忍耐強さが根付き、衰えや加齢とともにそれが私の一部になった。私はいつもの空に新しい雲を探す。
アメリカ人が愛するもう一人のネイチャーライターの言葉を借りれば、「道が2つに分かれ、そして私、私は、モンタナとアラスカで働くために大学を去ったけれど、ちゃんと教育は受けた」のだ〔ロバート・フロストの詩をもじっている〕。男たち、女たち、失敗した仕事、うまくいった仕事から、私は学んだ。速く動くべきときとゆっくり動くべきときがあること、しっかり監視すること、正確に測って一気に切ること。概念や経験と同じように土地が自分の一部になるのを私は目撃したし、掘っている穴の中に立ちながら心に変化が起きるのも体験した。内面の変化は外面の変化の予兆となり、強靱な肉体は明晰な精神を招く。世界がどんな仕組みになっているかに気づけば、それに心を開いておける。誰かと並んで仕事をすれば信頼が生まれる。仕事がコミュニティを育む。
コミュニティ。つまり端的に認めれば、この本は、ある仕事についての私自身の物語ではあるけれど、でもその仕事の物語は私だけのものではない。私はそれを、他の人や植物、道具、動物たち、馴染みになった尾根や川、そしてこの生活に含まれる、感覚的だったり形がなかったりするディテールと共有しているのだ。仕事をするんじゃなくてそれについて書く、というのは隊列を乱す行為だ。私は心配している─どんな物語も、バーのスツールから本屋に移動する間にその本質の一部が失われてしまう、ということを。
でもやってみずにはいられないのだ。その理由の一つには、私の中にある傲慢さ、大事なことを説明したい、という物書き特有の執拗な衝動、言い伝えを語り継ぎたいという語り部のうずきがある。私はこの世界を讃え、その価値を伝えたい。納屋でロープをグルグル巻きにしているパッカー、噛み煙草を口一杯ほおばっている機械修理工─あの人たちが、目立たないでいたいのはわかっている。私はある不文律を、労働者たちが大切にしている規範を犯しているのだ。私たちは仕事を通して物を言う。自分に注意を引きつけることはしないし、それ以上にお互い、相手に世間の注目を集めるようなことはしない。でも私はこれを、秘密を漏らしているのではなく、ラブソングのつもりで書いているのだ。どうかあの人たちに許してもらえますように。
道具は私を恨むことはないと思う。道具は私のすることに賛成も反対もしないし、評価されることを望みもしなければ、それを避けることもしない。シャベルや斧は、それを使うことでその有用性がわかるのだ。
この本は6章に分かれている。6つの章立ては、仕事の内容や経験、場所を通して、傍観者だった私がある非常に特有な世界の参加者になる、その学びの過程を辿っている。各章の初めに、その地域のトレイル整備の仕事に関係が深いツールについての説明と逸話がある。この本を、ツールを中心にして構成したのにはいくつか理由があるが、特に、ツールの歴史や癖や使い方は知っておく価値があると思うからだ。それにツールは私を批判することなくたくさんのことを教えてくれたから、この本の枠組みにツールを使うことでお礼がしたいという気持ちもある。この物語が私の経験というレンズを通して語られるとすれば、物語とその主要な登場人物─私の学びの過程、クラスメート、教師など、その全部をしっかりつなぎとめる「もの」がツールだからだ。
あるツールを、何かの意図を行動に移すための小道具であり、知性より下にあるものとして見るのは簡単だ。色々な意味で、この実用主義的な見方こそツールの魅力の一つでもある─ツールの美しさと価値は、ものとしてそれが持つ目的から生まれるのだ。そこに比喩は必要ない。でも、ツールと私たちにはもっと深い関係もあって、それは注目に値する。私たちはツールを発明し、見事にそれを使い、手直しし、それを使った仕事を誇りに思ったり残念に思ったりするわけで、だからツールは私たち自身の受け皿でもある。ツールは私たちの手足の延長であって、いわば取り外しできる体の一部なのだ。
仕事を始めた最初の日から、ツールは私を生徒として迎え、学ばせてくれた。斧、鋸、プライバー、そして大槌は、私の体にはその振り方、研ぎ方、運び方、しまい方を叩き込み、私の頭には、時間をかけ、心を開けば、能力は身につくものだということを教えてくれた。いつだって、やらなくてはならないこと、もっと上手くなれること、上達し続けるべきこと、そして教えることがある。誰もが学びの中から自由を得る。私にとっての自由は、私の両手の間で「修業する人」と「熟練した人」が一緒になるのを眺めつつ、肉体と知性、思考と行動、という二項対立を超越することの中にある。
この本は回想録ではないし、ハウツーのマニュアル本でもない。野性に関する論文でもなければ、かく生きるべきという論説でもない。これは、何カ所かの山野とそこで働く人たちについての、そして私がどうやってそこに自分の居場所を見つけたかについての物語のつもりだ。一日の終わりにどこの店のポーチでくつろぐにせよ、人生に意外な展開があると、私たちは予期しなかった自分に辿り着くことがあると思う。私は、現代人の暮らすところや習慣の中にも野性はあると信じていて、そこに力を注がなくてはいけないと思う。そしてそのためには、物置一杯のツールが役に立つと信じている──斧、疑問を持つこと、鋸、出し惜しみしないこと。ツールの中には汚れているものもあるし、刃が鈍くなっているものもあるけれど、とにかく一つ選びたいと思う。結局、どんな労働もそこから始まるのだ、なすべき仕事とツール、そして実際の作業。持ち上げて、振り下ろす。息を吸って、もう一度振り下ろす。まずは型から入る。強さはいずれついてくる。
私たちが担ぐ荷物の中身
バックパック─容量25〜40リットルのもの
水─最低2リットル、最高4リットル
着替え─じっと立ったままで寒くないように、今着ているものにあと2枚重ねて着られるもの
手袋─2組(革のもの1組、フリース製1組)
ランチ─3000〜4000カロリー、それに午前と午後のおやつ
その他─マッチ、ナイフ、ロープ、ダクトテープ、目印用テープ、バンダナ
応急処置用品─イブプロフェン〔非ステロイド系の解熱、鎮痛、抗炎症薬〕、絆創膏、イブプロフェン、モールスキン、ピンセット、イブプロフェン
道具─斧、プラスキー〔鍬付きの斧〕、シャベル、チェーンソー、傾斜計
燃料─ガソリン4リットル、チェーンソー1台につき最低1リットルのオイル
帽子─野球帽1個、つばなしキャップ1個
態度─投げ出さない、文句を言わない、遅れない、自慢しない。痛くても痛さを見せない
期待されること─解決する、必死に頑張る、急ぐ、何もかも知っているか、でなければさっさと覚える