小山重郎（こやま・じゅうろう）
1933年生まれ。
東北大学大学院理学研究科博士課程修了。理学博士。
秋田県農業試験場、沖縄県農業試験場、農林水産省九州農業試験場、同省四国農業試験場、同省蚕糸・昆虫農業技術研究所を歴任し退職。

プロローグ
コラム1　コブアシヒメイエバエの群飛行動─最初の研究

第1章　アワヨトウ大発生の謎
1　秋田県農業試験場
2　アワヨトウはなぜ増えたのか
3　アワヨトウはどこから来たのか
4　「役に立つ研究」とは
コラム2　中国から飛んできた薬剤抵抗性のウンカ

第2章　農薬のヘリコプター散布を減らすために
1　青白い灯り
2　イネは補償力をもっている
3　殺虫剤のヘリコプター散布はどこまで減らせるか
4　ニカメイチュウはなぜ減ったのか
5　害虫の総合防除を目指して
コラム3　「サイレント・スプリング」と「総合防除」

第3章　沖縄のミバエ類の根絶防除
1　なぜミバエを根絶しようとしたのか
2　ミカンコミバエの根絶防除
3　ウリミバエの根絶防除
4　ミバエ類根絶のあとには
コラム4　雄除去法と不妊虫放飼法
コラム5　ミカンコミバエの雄はなぜメチルオイゲノールに集まるのか

第4章　世界のミバエ類防除
1　メキシコのチチュウカイミバエ侵入阻止作戦
2　チリのチチュウカイミバエ根絶防除
3　フィリピンのミカンコミバエ防除

第5章　森は病んでいる
1　マツが枯れた
2　マツ枯れをどうする
3　ナラ枯れを見る

第6章　再び田んぼへ
1　斑点米カメムシ問題
2　有機無農薬栽培稲作
3　環境保全米運動と田んぼの生き物調査
コラム6　合成性フェロモンを利用したアカヒゲホソミドリカスミカメの発生予察

第7章　昆虫を害虫にしない社会を


参考文献
あとがき

　1961年、わたしが秋田県農業試験場に勤めはじめた頃、ある農家の人が研究室にやって来た。
「先生、イネの穂が急に枯れてきたので、持ってきたし」と差し出すイネ株を見ると、穂が白く枯れている。茎を割いて中を見ると、1センチほどの体に茶色の縞のある幼虫が入っている。
「これはニカメイチュウという害虫だよ。イネの茎を食われたので、穂に水が上がらなくなって枯れたんだ」
「せば、なに振ればいいすか」
　ここで「振る」というのは薬剤散布のことである。
「そうだな。もう時期が遅いのでBHCでは効かないだろう。EPNなら効くはずだ」
　農家の人は一安心という顔で帰って行った。
　この頃は農薬全盛時代で、農業試験場の害虫担当技師のやることは、こうやって害虫の種類を鑑定することと、防除薬剤を教えることであった。
　1962年に、アメリカの生物学者、レイチェル・カーソンが、有名な『サイレント・スプリング（沈黙の春）』を出版し、2年遅れて日本でもこの本が『生と死の妙薬』（青樹簗一訳）という書名で翻訳され、農薬一辺倒の害虫防除に反省がせまられてからも、農薬への依存は続き、それは現在に至っても大きく変わってはいない。
　確かに、農薬の人畜毒性や魚毒性などは改良された。それと、害虫には特定の農薬への抵抗性系統があらわれるため、絶えず新しい化合物が合成されてきた。
　また、1970年頃から「総合防除」が叫ばれるようになった。これは、低毒性農薬とそれ以外の害虫防除手段を組み合わせて、害虫を経済的な被害が起こらないレベルに維持しようという考えである。この考え方は、のちに発展して「総合的有害生物管理＝IPM」と呼ばれるようになった。そして、農薬以外の防除手段として、性フェロモンや天敵、不妊虫、防虫網や照明条件などの物理的な方法、害虫抵抗性品種など、いろいろな防除手段が開発されてきた。しかし、これらの新しい防除手段の使用は限られており、依然として害虫防除の主流は農薬散布である。
　例えば、現在でも、東北地方のほとんどの農家は田植えの前にイネの苗に殺虫剤と殺菌剤を振りまいてから植えつける。これは、田植え後に発生する病害虫の予防のためと言われているが、病害虫の発生の有無にかかわらず、半ば習慣的に行われている。イネの穂が出ると、今度は殺虫剤が無人ヘリコプターから振りまかれる。これは斑点米カメムシ類という害虫が米に斑点をつけるのを予防するためとされているが、その効果については、のちに述べるように限界がある。
　今のような農薬が開発される以前には、農業試験場では害虫と作物の栽培条件との関係を調べる研究がさかんであった。例えば、ニカメイチュウは、春に早く植えたイネで発生が多くなる。そこで、イネを意識的に遅く植えることによって、ニカメイチュウの被害を減らそうとする試みが行われてきた。しかし、農薬が開発されると、こうした害虫の生態にもとづく防除の研究は下火になり、農薬によって害虫問題はすべて解決するという考えが起こってきたのだった。

　わたしは大学の理学部生物学科で昆虫生態学を学んだ。そこでは、フランスの昆虫学者ファーブルのように、対象の昆虫をひたすら無心に観察することを教えられた。こうした研究は本当に楽しかった。しかし、こうした昆虫の生態の研究をいつまでも続けることはできなかった。
　わたしは生活のために農業試験場に就職し害虫係になった。そこで、待っていたのは、最初に述べたような農薬一辺倒の害虫防除であった。わたしはこれに反発し、なるべく農薬にかかわらないような研究をしようとしたが、逃げきることはできなかった。やがて、わたしはカーソンの『沈黙の春』を読み、農薬以外の害虫防除法にひかれて、不妊虫放飼法にたどりついた。しかし、この方法にも限界があることがわかった。
　そして最後に得た結論は「害虫は社会が生み出したものだから、社会のありかたを変えなければ、害虫はなくならない」というものであった。
　わたしが研究対象とした害虫は、アワヨトウ、ニカメイチュウ、ミバエ類、森林害虫、斑点米カメムシ類などである。
　これらの害虫は、もともとは、ただの昆虫であり、自然の片隅で細々と生きていた。ところが、これらの昆虫の餌となる植物を人々が作物として広く栽培するようになったために、餌としての条件や栽培環境がこれらの昆虫にとって好適になった。そのため数が増え、作物にも被害を与えるようになり、「害虫」と呼ばれることになったのである。わたしは、それぞれの昆虫の生態と作物被害の実態を調べ、なぜ害虫になったのか、農薬以外に対処法はないのかを考えてきた。
　この本では、その研究の経過を述べてみたい。
　そして、「社会はどのように昆虫とかかわっていくべきか」について、考えてみたいと思う。