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| 水の革命 イアン・カルダー(ニューキャッスル大学土地利用水資源研究センター所長)[著]
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【監訳者まえがき】 | |
監訳者まえがき 21世紀の地球で、温暖化とともに人類最大の脅威と言われる「水危機」を克服するために必要とされている革命的な意識改革と技術革新を総称して「青の革命」と呼ぶ。 21世紀は「水の世紀」とも言われる。1995年に当時世界銀行副総裁であったセラゲルディンが「20世紀の戦争が石油をめぐって戦われたとすれば、21世紀は水をめぐる争いの世紀になるだろう」と発言した。「世界の水危機」といった言葉も耳にするようになり、現状を放置すると、50年後には世界の水問題は危機的・破滅的状況に陥る可能性まで指摘されるようになった。 このような「危機の喧伝」は、水に始まったことではない。古くは1798年にマルサスが「人口は幾何級数的に増大するが、食糧は算術級数的にしか増加しない」と警告した。この「食糧危機」に対して人間は、灌漑による乾季や乾燥地での食糧生産、農薬や肥料による生産性向上、高収量の作物の開発などに成功し、結果として人口増加に見合う食糧の増産をある程度達成した。これが「緑の革命」であり、人類史上画期的な出来事であったが、水や農薬や化学肥料を多用するやり方はさまざまな犠牲をともなった。 食糧危機克服の手段としての「緑の革命」に対して、「青の革命」は水危機克服の手段を表現する新しい言葉である。 本書は、「青の革命」の理念とその実践について、インド、中国、アフリカなど世界各国の事例を駆使しつつ詳細に示した、世界で唯一の本である。原著の初版は1999年に出版され、その後大幅に加筆された第2版が2005年に出版された。「青の革命」という言葉は別の意味で用いられることもあるため、本書の題は「水の革命」とした。本文中では「青の革命」を用いているが、その意味は「水の革命」である。 「青の革命」という言葉は当初、「緑の革命」同様、革命的な科学技術によって水問題を解決するという意味で使われていた。水1滴当たりの収穫量を増やすという観点から、作物に点滴するように灌漑して少量の水を大事に使う農法などが提唱された。それに対して本書では、「青の革命」は科学技術の革命だけで実現するのではなく、それに加えて「考え方の革命」が必要だと説いている。これまでの水資源、洪水と土地利用の関係についての考え方のなかには、科学的根拠のない「神話」にもとづく本質的な間違いがあり、いくら科学技術が進歩しても、神話の正当性を確認し、誤った考え方を正さないかぎり、「青の革命」は実現されない。逆に、考え方を変えることができれば、「青の革命」は実現可能であり、水危機は克服できるという楽観的な見通しを示している。 * * * 日本で初めて「青の革命」が紹介されたのは、高知工科大学の村上雅博教授が1999年8月に外務省経済局編集協力・国際資源問題研究会が発行する「国際協力」誌に執筆した「世界の水資源問題、緑の革命から青の革命へ」という論文であり、「水資源の“開発”から“管理”へ、“緑の革命”から“青の革命”へと20世紀から21世紀にかけてのパラダイムは変貌している」と述べている。 日本は、水に恵まれた国であり、森林に恵まれた国でもある。水資源はあまり気味であり、利用されずに放置されている森林が増えている。そのため、水危機や食糧危機と言われても、大多数の日本人にとっては、それは海の向こうの話にすぎず、深刻な問題としてはとらえられていない。 しかし、日本が水や森林に恵まれているのは、日本の人口が少ないからでもなく、日本人1人当たりの水や木材の使用量が少ないからでもない。江戸時代には日本の水や森林は食糧や燃料の生産のために極限まで利用されており、そうしなければ人間は生きていけなかった。日本の土地と水資源を最大限に利用して生産可能な食糧だけで養える人口は、江戸時代末期の推定人口(約3000万人)より少し多い程度でしかない、という試算がある。現在、日本でその約4倍もの人間が生活できているのは、輸出元の国で水を利用して作られた食糧を大量に輸入しているからである。日本は食糧を輸入することで、仮想水、バーチャル・ウォーターを大量に輸入していることになり、輸出元の国の水資源に負担をかけている。また日本は木材の80%を輸入に頼っているが、輸出国の天然林や人工林では森林が伐採されることによるさまざまな影響が発生している。日本の豊かな水と森林は、食糧や木材の輸出国の水資源や森林資源の犠牲のうえに成立していることを、我々は忘れてはならない。 「青の革命」の考え方は、日本の水と森林をめぐる問題の解決にも役立つ。たとえば1997年の河川法改正により、全国の河川で住民の意見を聞きつつ河川整備計画の策定が進められているが、その過程で流域の森林が洪水や水資源にどのような影響を及ぼすのかが議論されている。現在もなお続けられているダム建設の現場では、森林の整備による緑のダム機能強化が、コンクリートダムの機能を代替できるのかどうか議論されている。また高知県の一級河川である物部川のように流域閉塞が現実の問題となっている川がある。こういった問題の解決に向けて現在検討されている総合治水、流域治水、統合的水資源管理、水バンクなどの新しい理念は、「青の革命」の考え方と共通している。 しかし、本書を読むにあたり一点だけ注意しなければならないのは、人間は科学的、合理的な意思決定をするはずだという「近代的合理主義」を前提として本書は書かれているが、日本人社会の意思決定過程では、科学性や合理性は必ずしも重視されず、むしろ情緒性、宗教性、関係性が重視されることが多いということである。これは東西の歴史、伝統、文化、宗教の違いによる価値観の違いと言うべきであろう。 たとえば本書では、「植林神話」について繰り返し批判的に述べられているが、日本人にとって植林神話は人びとの心の奥深くまで浸透しており、植林は文句なしにすばらしい行為だと見なされている。日本国内では飽き足らず、中国やモンゴル、東南アジアまで出かけていって植林し、満足して帰ってくる人がたくさんいる。このような人たちに植林と水資源の関係についての科学的、合理的考え方を理解してもらうことは容易ではない。現地の人からみれば、植林をするために全額自己負担で外国から飛行機とバスを乗り継いで、わざわざやってくるのはなぜなのか、理解に苦しむのではないだろうか。本書では中国政府が1998年以降「世界最大の実験」とも言われる大規模植林を推し進め、その結果、食糧生産、水資源、雇用などの点で数多くの犠牲を地域にもたらしていることが記述されている。 * * * 私が著者のイアン・カルダー教授に初めてお会いしたのは、2002年11月、林野庁と滋賀県の共催により、アジアを中心とする開発途上国および欧米諸国、国際機関、非政府組織(NGO)等が参加して開催された「国際森林専門家会議『森林と水』」であった。カルダー教授にとってはこのときが初来日であった。この会議では、「持続可能な森林経営」と水の関係について国際的に初めて幅広い関係者が議論した成果として、「森林と水に関する滋賀宣言」が採択され、「持続可能な森林経営」と水循環、水資源の保全を効果的に推進していくための提言が盛りこまれた。 この会議、および翌2003年3月に開催された第3回世界水フォーラム「水と森林」分科会等に刺激され、私は2003年10月より日本学術振興会人文・社会科学振興プロジェクト研究事業「水のグローバル・ガバナンス」プロジェクト(代表・中山幹康東京大学教授)のもとで「青の革命と水のガバナンス」研究グループを立ち上げ、4年半の間、「青の革命」の研究を進めてきた。カルダー教授はこの間2度来日され、「青の革命」について最新の知見を披露された。 「青の革命」のバイブルというべき本書は、初版の段階でも充実した内容であったが、第2版では最新情報が大幅に加筆され、日本についての情報も盛りこまれたことで、翻訳出版の機運がさらに高まった。幸い、宮崎県の綾の照葉樹林で市民の立場から森林と水の関係解明をめざして観測を進められている技術翻訳者の林裕美子さんに共同監訳者となっていただくことができ、私一人ではとうていできないような監訳作業を進めることができた。なお、諸般の都合で、原著の第4〜7章のうち、全体の話の流れに影響を及ぼさない範囲で省略した部分があることをお断りする。また読者の便を考え、訳注(欄外*、短いものは本文中[ ])を加え、巻末に略号一覧を示した。 本書の翻訳者となっていただいた5名の方々は、「青の革命と水のガバナンス」メーリングリストで私がボランティア翻訳者を募り、それに応えて自発的に手をあげてくださった方々である。第1〜3章は森林水文学・河川生態学の若手研究者、第4章と第7章は国際協力の仕事をされている専門家の皆様にお引き受けいただいた。本書のカバーする専門分野は理系・文系の多分野に及んでいるが、それをカバーできる最高のメンバーがそろったと思っている。翻訳者の皆様、および、いつもながら編集作業でお世話になった築地書館の橋本ひとみさんに心から御礼申し上げたい。 2008年1月 蔵治 光一郎 |
【日本語版への序文】 | |
日本語版への序文 近代における水資源と流域の管理の歴史をたどると、19世紀の土木技術にその原点をみることができる。世界中の都市が産業の発展とともに大きくなったのは、土木技術の発達で安全な水を供給してきたからである。都市に住む人びとの生活の質を向上させ、平均寿命を延ばすことにもっとも貢献した要因をひとつあげるとすれば、それは安全な飲料水の供給と、水を使った衛生管理が可能になったためにほかならない。いずれも、水を供給する土木技術があって初めて可能になったことである。当時、地表水の流域(集水域)は質のよい水を確保するために管理されていた。人が流域に居住することは好ましくないと考えられ、せいぜい必要悪として認められてはいたが、極力減らさなければならないことであった。土木事業が成功を収めたのは水の供給だけではなかった。「川を飼いならす」こともできた。人工湖、堰、放水路を造ることによって、流域から流れ出てくる川の水を管理できるようになった。洪水を軽減し、渇水時には、それまでより多くの水を供給できるようになった。 最近になって、流域や水資源の管理をめぐる議論は、土木技術に焦点をしぼったものではなくなってきた。時を同じくして、流域という言葉に対する人びとの認識が微妙に変わってきた。かつて「流域」とは、水供給、灌漑、水力発電の目的で水を集めるための貯水池を建設する川の上流域を意味していた。現在は、水循環の最小単位と考えられており、この単位が地球上の全地表面をくまなく覆う。水の需要が増加するにつれて、山間部の源流域だけでは必要量を満たせなくなるので、このような考え方に移行するのは避けられないことである。水を再利用する必要が出てきたことや、新たな地下水源を見つける必要が生じてきたということは、私たちが地球上のあらゆる地表面を、水供給の場であると同時に汚濁水を受け入れる場としてもとらえるようになってきたことを意味している。この新しい認識に立つと、人間の活動と環境をもはや無視するわけにはいかず、人間活動にかかわる問題も、環境にかかわる問題も、流域や水資源の管理という面からますます重要視されるようになってきている。 土木工事のなかでもとくに洪水軽減のための事業計画の推進については、さまざまな立場の関係者が対立しあいながら変遷の歴史が刻まれてきた。米国では1930年代に、洪水軽減には森林のほうが有効なのかダムが有効なのかという点で、土木事業関係者と林業関係者が鋭く対立した。これまで土木事業関係者と林業関係者と自然保護主義者は相対立する見解を堅持しつづけ、日本ではいまでも「緑のダム」論争で意見が戦わされるが、統合的な洪水や流域の管理という手法を用いれば、実現性のある方策をとることができるだろう。土木工事はけっして100%有効な水害対策であるとは見なされず、構造物を造ってもいくつもの安全対策を用意する。それは、「洪水から住民を遠ざける」ような土地利用計画であるかもしれない。「洪水を人の居住地から遠ざける」ための構造物建設であるかもしれない。あるいは、「洪水が来ないうちに住民が心構えをしておく」という事前準備であるかもしれない。水害のあとに「被災者の支援をする」という水害緊急対策であるかもしれない。 本書で示される統合的土地・水資源管理(ILWRM)の概念は、必然的に私の経験の影響を受けている。私は、物理科学の研究や開発途上国における水資源管理にたずさわり、イギリス海外開発機構の水文アドバイザーでもある。経済学者、生態学者、社会学者の考え方や世界観も、もちろん正しいのだが、本書では十分に紹介しきれなかった。土地と水の管理について全体的・体系的な解析を行なうためには、これら種々の分野の見方を総合的に関連づけていくことが必要であることは明らかである。上記以外の要素も組みこまなければならない。ミレニアム開発目標(113ページ参照)を受けて、多くの開発途上国で大規模な水道計画や衛生設備計画が進められているいま、ILWRMで水供給と衛生改善を考慮していく必要性は以前にもまして高まっている。こうした計画にあたって、水資源の制限や、事業計画が生み出す経済的なコスト(初期投資だけでなく維持経費も)や環境負荷を正しく考慮しないと、長期にわたる河川の汚濁や環境破壊を生み出すことになるかもしれない。気候変動や世界人口増加にともなう食糧問題は、将来的に「青の革命」が乗り越えなければいけない課題である。 日本における「青の革命」の強力な推進者であり、本書の日本語訳出版を勧めてくれて実現にこぎつけてくれた蔵治光一郎博士に感謝する。翻訳の校閲をしてくれた林裕美子さんにも心から御礼を申し上げる。 イアン・R・カルダー |
【目次】 | |
監訳者まえがき 日本語版序文 序章 革命 第1章 新たな理解――土地利用と水の相互作用―― 異なる植生からの蒸発散 背丈の高い森林と背丈の低い農作物からの蒸発散が異なる主な理由/蒸発散量の測定方法 土地の劣化 土地劣化の原因/アジア:ヒマラヤ環境悪化理論/アフリカ:土地劣化の原因/土壌劣化の拡大と深刻さ/水による浸食/面状浸食/水路浸食/土砂移動/植生、森林、浸食/雨滴の大きさの変化/雨滴衝撃による浸食:観測例/雨滴衝撃による浸食:日本における研究例 土地利用、気候変動、そして水資源 第2章 森林と水――神話と俗説―― 森林は降雨量を増加させるか? 森林は流出量を増加させるか? 森林は流出量を制御し乾季の流量維持に寄与するか? 森林は土壌浸食を減少させるか? 森林は洪水の発生を抑制するか? 森林は水を「浄化」し水質を向上させるか? アグロフォレストリーは生産量を向上させるのか? 「古いパラダイム」からの脱却 第3章 水資源と「制限」概念――蒸発散量を推定する総合的アプローチ―― 温帯湿潤気候:背丈の高い森林と背丈の低い植生 移流による制限/日射量と生理学的作用による制限 温帯乾燥気候:背丈の高い森林と背丈の低い植生 生理学的作用および土壌水分量による制限/日射量と土壌水分量による制限 熱帯乾燥気候:背丈の高い森林と背丈の低い植生 土壌水分/樹木の大きさ 熱帯湿潤気候:背丈の高い森林 雨滴サイズによる制限/日射量による制限 第4章 新たな理念 環境と初期の発展 ダブリン原則 経済発展と構造調整プログラム 水の価値/水の需要調整/経済財としての水/水に価格をつける/土地利用の価値 理念の実施 水は農業のためのものか、自然環境のためのものか?――世界の食糧需要を満たすために/統合的水資源管理(IWRM)に沿った農林業戦略/水配分の優先順位 世界ダム委員会―― 経済成長、社会的公平性、環境保全、政治的側面の融和 国連環境開発会議――ミレニアム開発目標(MDG)に向けて ミレニアム開発目標 欧州水枠組指令 第5章 政治、権力、犠牲 流域開発計画――貧しい人の利益になるのか? 流域閉塞の原因/土壌水分保全――水の大口使用者として/林業――水の大口使用者として/灌漑――水の大口使用者として/流域閉塞による犠牲/関係者の対立――電力と気候変動/政府機関と援助機関にとって「好都合な定説」?/今後の展望 洪水の制御――林業関係者、環境保護主義者、土木事業関係者 水害と人びと/森林と水害――対照的な認識、知識、手法/俗説を正し、勢力争いを解消する――統合的洪水管理と統合的流域管理/統合的洪水管理に向けて/洪水・水害と新しい政策の開発 中国:世界最大の実験?――天然林保護計画と退耕還林計画 世界最大の環境問題?――気候変動とクリーン開発メカニズム 流域環境機能の取引――貧しい者に恩恵はあるか? 犠牲を避けるには――政策の成果を評価する必要性 第6章 水資源をめぐる対立 マラウィ:土地利用形態の変化と湖の水位 インド:ユーカリ、灌漑、水力発電、水資源 ユーカリの問題/土地利用と水資源についてのカルナータカ州での現地調査 イギリス低地における対立:樹木と水不足 ニュージーランド:水問題と土地利用 水問題のとらえ方/土地利用形態の変化とその影響 日本:破綻しかけの財政、公共事業、緑のダム 実情――何がなんでも公共事業/土木工事と自然環境・森林の対立/洪水対策を統合的に推進する 第7章 統合的土地・水資源管理(ILWRM) 概念と原則 土地と水のガバナンス 統合的土地・水資源管理(ILWRM)の方法論 「緑の水」と「青の水」の定義/世界の食糧需要を満たすのに必要な水の量を推定するための「緑の水と青の水」の取り組み/緑の水政策の手段/配分の公平性/水配分、トレード・オフ、交渉理論 人間にかかわる側面に対応する「ソフト」なツール 参加型アプローチ/土着の知、地域特有の情報 意思決定支援のための情報技術(IT) ILWRMのための意思決定支援システム(DDS)/NELUP意思決定支援システム/意思決定支援、協議支援、EXCLAIM普及ツール 行政組織と学術機関の橋渡し 青の革命――将来展望 神話に対抗するための研究/開発計画を成功させるための情報共有/開発の振り子の方向を変える Box 2.1 インターネット上での討論から:森林と土砂崩れとの関係 Box 2.2 回帰年が長い洪水や豪雨と発生確率 Box 4.1 人権と人間開発 Box 4.2 欧州水枠組指令の実施スケジュール Box 5.1 水をめぐる神話 Box 5.2 水のための投票 Box 7.1 水配分改革──ブイェラ・ソンジカ水資源森林大臣による講演の抜粋 英略語一覧 引用文献 索引 |