子どものような純真さで考えれば答えは簡単だ。
戦争は悲惨で愚かしく、終わったあとには「もうこりごり」と思い知る(それも運よく生き残ればの話)。ある意味で、人間の歴史は戦争と後悔のくり返しだった。でも、永遠にそうとはかぎらない。
私たちはいつの日か、戦争をしないで問題を解決できるようになるだろう。それが遠い未来になるか、わりあい早く実現するかは別として、人類にそれぐらいの知恵もないとしたら、ホモサピエンス(賢いヒト)の名は返上したほうがいい。逆にいうと、ホモサピエンスの名に恥じない学びを重ね、種として存続できたなら、いつかかならず戦争を卒業する日がくる。
戦争をしないですむ世界の実現を少しでも早めようとする努力が民主主義であり、そのためのルールブックが憲法だと定義できるかもしれない。
「民主主義」という言葉はなんだかよそよそしくて堅苦しい。聞こえは悪くないけれど、じっさいに自分とどう関係あるのかピンとこない。ましてその歴史だとか憲法なんて、専門家にまかせておけばいいんじゃないの――。
私も長いあいだそう感じていた。それが一変したきっかけは、アメリカ先住民の言い伝えを調べるなかで、十八世紀にアメリカ合州国[1]ができたとき、白人たちがインディアン[2]からいろいろ学んだらしいとわかったこと。幾何学の問題を解く補助線か、化学実験で使う触媒のように、「インディアン」という意外な配役を加えたとたん、アメリカ建国とフランス革命をはさんだここ五〇〇年ぐらいの世界史が、急に生き生きと脈動しはじめた。民主主義がたんなる言葉ではなく、生き方の核心に迫る身近な関心になってきた。
といっても、そんなに理屈っぽい話ではない。私たちだれもが自由で平等な存在であることと、大なり小なり社会集団をつくって生活することとの折り合い。「自由と協調との綱渡り」ともいえるその工夫の一つが、日本語で「民主主義」と訳され、英語で「デモクラシー」(民衆の権力/自治)と呼ばれる仕組みなのだろう。しかし、それには学校で習った古代ギリシア・ローマから続くヨーロッパの伝統だけでなく、もっと私たちの肌合いに近いルーツもからんでいた。そこがストンと腑に落ちたのだ。
私の場合は、アメリカ先住民とアジア人とをつなぐ遺伝的な絆[3]のせいか、文化や風習の面でも親近感を抱きやすいので、その思い入れを差し引いておこう。しかし、ヨーロッパ系のアメリカ人たちが知らず知らず北米原産の自由と民主主義に染まっていったとしたら、人種や肌合いだけでは説明がつかない。
心理学者C・G・ユングは、「北米の(ヨーロッパ系)住民たちは……仇敵インディアンの魂が自分のなかに取り込まれていくのを止められなかった」と、興味深い観察を述べている[4]。私たちが(いや、アメリカ人自身も)「アメリカ的」と思い込んでいる考え方や感じ方のなかには、文字どおりのアメリカ産、つまりインディアンゆずりのものがずいぶん混じっていて、どうやら自由と民主主義にもそれが当てはまるのである。
本書は、いままでほとんど忘れられていた民主主義の「もう一つの源流」をたどりながら、一一四二年、一七八七年、一九四六年という三つの時空を結ぶ。それぞれ、北米先住民イロコイ連邦憲法、アメリカ合州国憲法、日本国憲法が生まれた三つの時空間窓(ポータル)は、私が知るかぎり人類史上まれなほど互いに通底し合っている。そこからあらためて現在と未来を見通したとき、まったく新しい風景が開けてくるだろう。
第1章「平和の白い根」では、伝説的な社会改革者ピースメーカーによるイロコイ連邦の建国物語と、いまも存続する母権民主制のあらましを紹介する。
第2章「生命と自由と幸福を求めて」では、コロンブスのアメリカ“発見”から十八世紀末の合州国成立にかけて、北米とヨーロッパを行き交った知と情念の相互作用が、先住民社会とどうかかわったかを振り返り、アメリカ建国のインディアン・ルーツに迫る。
第3章「臣民から市民へ」では、現存するイロコイ人の肉声をまじえつつ、新生アメリカ合州国がどんな自由と民主主義を育ててきたかに目を凝らす。
第4章「真珠のワンパム」では、“押しつけ”といわれる日本国憲法誕生のドラマから、戦後六〇年で私たちが受け取ったもの、受け取らなかったものを読み解き、二十一世紀の日本と世界にふさわしい生き方を問う。
結びでは、残る課題を描き出したあと、一人ひとりが新しいピースメーカーとして歩き出すところで読者とお別れしたい。
【注】
[1] United States of Americaの訳語としてより正確と考え、本書ではこう表記する。
[2]「インディアン」はコロンブスの誤解にもとづく蔑称との正論があるが、現実にはアメリカ先住民自身が胸を張ってインディアンを自称する場合も多く、本書ではこだわらない。そもそも「アメリカ」じたい、イタリア人航海者アメリゴ・ヴェスプッチにちなんだ名で、先住民側から見れば大同小異。
[3] 人類学や考古学の定説では、最終氷河期に陸続きとなったベーリング海峡を通り、ユーラシア大陸から渡った先史モンゴロイドが南北アメリカ大陸先住民の先祖とされる。ただしアメリカ先住民自身は、アメリカを民族発祥の地とする創世伝説を信じることが多い。
[4] C. G. Jung, Contributions to Analytical Psychology, 1928.
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